2015年06月23日

延長戦に入りました

 直木賞作家である著者が、まだライターであった時代に書いたスポーツエッセイ。
 
 スポーツを扱ったエッセイというのは、どうも堅苦しいものが多いように思う。
 才能を補う超人的な努力や、事故による障害を克服する不屈の意志、そして本人を支える家族の愛、といった、そりゃまあたしかに読めば感動はするのだけれど、なんというか大人向けの道徳教科書というか、勇気をありがとう、というか、うーん、文句があるわけじゃないけれど感動以外は許されない雰囲気みたいなものをまとっているように感じてしまうのは、私の性根が曲がっているからだろうか?
 たしかにそうなのかもしれない。しかし、そういうところとは別に、例えばオリンピックのボブスレーに熱狂する観衆の歓声と興奮のなかで、ふいと脳裏にこんな下らない疑問を浮かび上がらせてしまうことはないだろうか?
 
 ボブスレーの前から2番めの選手って、何のために乗っているんだろう?
 
 しかし、良識ある大人はそんな疑問を口にすることはない。否、そんな疑問を抱いた自分に深く慙愧の念をいだいて、至らぬ妄念に惑わされたことを償うかのごとく、一心不乱に選手に声援を送ろうとするはずだ。……はずなのだが、ものごとには何につけ例外というものはあり、それがすなはちこのエッセイなのだ。
 
 レスリングのタイツはなぜ乳首をみせるのか? ボブスレーの前から2番めの選手は何をする人なのか? 著者の無意味に鋭い視線は、本質とは全く無関係な部分を縦横無尽に斬りまくる。ただし、著者が本当に怖いもの無しの素人なのか、といえばそういうわけでもなく、スポーツ全体を広く愛し、自身が楽しむことも知っている人間であることは、本書を読んだだけでもおおよその見当はつく。その上で尚、でもあれって妙だよな、という素朴な思いを口にしなくては気がすまない性格に、覚えるのは共感であるか反感であるかは読者次第。
 
 したがって本書はそこに共感を覚える自信のある人にのみお薦めの一冊なのである。★2つ半。

2015年06月22日

奇想科学の冒険―近代日本を騒がせた夢想家たち

 幕末から明治最末期までの8名の「夢想家」たちを紹介する一冊。

 全8章
 第1章 それでも地球は動じない
 第2章 「進歩」の発見、「啓蒙」の歓び 
 第3章 進化論は帝国主義を賛美するか
 第4章 人権を乗せた軍艦
 第5章 ユートピアの発明家
 第6章 森鴎外が畏れたメスメリスト
 第7章 ロボットは聖君子の夢をみるか
 第8章 詐欺に触発された発明

 彼らの大半は知識人に分類される経歴と学識の持ち主であり、それを身につけた目的も、この時代においては圧倒的だった欧米諸国の先進性を認めたが故のものなのだが、それを彼らの流儀で用いていく姿は、現代の我々の目から見ればどこかしら踏み外し感漂うものとなっている。
 といっても、自然科学系の学問を選んだ者はそれなりの研究成果も収めており、また言論と思想を選択した者たちも、時代の空気を決定付けたとさえ言える支持を集めている場合もありで、単純に「トンデモ」系と認定することはできそうにないのだが、それでもなお、夢想家たちの1人である渋江保(渋江抽斎の息子である)に対する鴎外の距離のとり方のエピソードなどを見てみれば、同時代でさえ一部の知性には慎重に接するべき対象、と見做されていた可能性は否定できないようだ。
 
 さて、それでは、そういった踏み外し感を生み出した最大の理由である、彼らの過剰な情熱を支えたものは何なのか、そして、それにもかかわらず彼らが排斥ではなく、むしろ一定の支持者を得ることが出来たのはどうしてなのだろうか、という問いが向けられたところに浮かび上がってくるのは、どうやら「明治」という時代そのものであるようだ。
 明治は日本という国家の成長と膨張の時代であり、その初期において、国家と国民の願望が、相当の部分においてシンクロしえた稀有の時代でもある。彼らの説くところを追っていけば、無邪気で奔放な「願望」と現実とのねじれていく位置関係を通じて、あの時代の空気らしきものに触れることができるように思う。……いや、そういうところはスルーして物見高さのみでチェックしても楽しい本ではあるけれど。
 
 『坂の上の雲』に書かれなかった、あるいは書かれていた明治の姿。★2つ。

2015年06月21日

江戸の妖怪事件簿

 江戸時代の「怪談」を、資料を広く渉猟してまとめた一冊。
 
 「怪談」とはいうものの、それを残した江戸時代の記録者と、今日の解釈の間には少なからぬずれがある。彼らが物珍しい事実と認定したものも、我々には伝聞による誤情報、としか評価のしようのないものが少なくない。
 しかし、それでは、彼らが世界を理解することを放棄していたのか、といえば決してそうではない。
 より古い時代から築き上げられた知の体系を用いて解釈を試みるものあり、また、自身の体験に基づいた成熟した世間知から真実に迫るものあり、で、それぞれの合理主義はその解釈の中に息づいているのだ。そしてそれを知ることはすなはち、時代を支配した認識の方法というものに触れることに他ならないのだと思う。

 ……と、こう書いてしまうとなにやら、たいそうにお利巧そうになってしまうのだが、実際には江戸時代における心霊現象のインテリ的解釈は「狸が化けている」だったとかいう実例が満載で、世間話を聞く気分で読みすすめていくことのできる肩の凝らない本である。
 また、その性格上、原典は伝聞によるものの記述が大半であるため、いきおい都市伝説めいた装いをみせるエピソードが少なくないのも興趣がわく。
 例えば──不幸に見舞われて死んだ少女が「幽霊星」と呼ばれる位牌の型をした星になり、それが及ぼす災いからのがれるには「八合の餅米でつくるぼた餅」を用意しなくてはならない──などという噂話は、食べ物がらみの逃走方法まで、ほとんど現代の都市伝説にそのまま引き継がれていそうな内容を備えており、江戸時代の人々も、こういった話を面白がっていたのかと思えば、人間の心のはたらきは、時代を超えたものがあるのだな、と今更ながらに納得させられる。
 
 上記の都市伝説も含めて、江戸時代の「噂話」については豊富な実例が挙げられ、なかでもこの時代の自治体にして企業でもある「藩」が、その噂の的となったときの対応例などは、インターネットによるネガティブな情報への対処に苦慮する現代の企業に置き換えて読んでみても、案外に通じていそうなところがあって面白い。
 
 全編に渡って「怪談」という伝承を用いて、江戸時代と現代を様々な角度から対比することができる切り口を提示して見せてくれている、多彩な魅力を持つ一冊。
 
 怪談にあまり興味の無い人にも充分以上に楽しめる★3つ。

2015年06月20日

不味い!

 Blogの世界でもそうなのだが、成功した経験談というのは聞かされてもいまひとつ面白いものではない。ちょっとした不運、しまった500円落とした、くらいの不幸な話が、ちょうど親近感を覚えることができそうに思う。
 
 さて、不味い食べ物に遭遇する、というのはこの「適度な不運」に該当するのではないか? 失ったものはそれほどに大きいわけでもないのに、記憶中枢にこびりつくあのがっかり感。そういった、熱く語りたくなるような「不味い食べ物」経験は誰もが持っていることと思うが、この本はそんな不運に基づく悲憤慷慨を、心を込めて語りつくした一冊なのである。
 
 俎上に上げられているのは、たしかにあれは不味い、とうなずけるものが多い。
 ぞんざいに作られた幕の内、観光地のホテルのみすぼらしい鍋物、安いから揚げ、中身がスカスカな蟹、そーだよ、あれはいくらなんでもだよな、と誰もが自身の記憶を遡って、よくぞ言ってくれました、と快哉を叫びたくなる不味さの王道を行くラインナップなのである。
 
 しかし、それだけで終わってしまわないところが、この本の凄みだ。
 期待したのに不味かったというだけでは、あたりまえの不運でしかない。
 不味いと言われているものに敢えて挑み、しかもそれがやっぱり不味かったというところを確認してこそ男ではないか? 決然たる意志を持って、著者は捕獲者が「不味い」と警告するカラスを食べて、自身の嘔吐感と全面対決したり、悪臭を放つことで有名なカメムシの幼虫を口にして後悔のどん底に沈んだり、と食の道の人柱としての責務を果たし続ける。
 ……いや、よく考えてみると人柱というのは、人様のためになることが前提なのだが、著者の行為は誰の役にも立たない。人はカラスやカメムシの幼虫を食べなくとも生きていけるからである。
 それでは、著者は何のために食べるのか? と考えてみればこれは、もう著者以外には誰にもわからないのである。この余人に真似できない行動力には、敬意や憧憬をいだく人もいるのかもしれないが、まあ、私個人はサーカスを見ている気分になってしまったところだ。いや、やはりある種の敬意は抱くのだが(笑)
 
 「食」の世界の地雷原地図★2つ。

2015年06月17日

バチカン・エクソシスト

 先々代の法王、ヨハネス・パウロ2世は、その生涯で公表されている範囲内でも3回の悪魔祓いを行っており、また有名な映画『エクソシスト』には、教皇庁公認で2名の聖職者が出演し、わけても1名は作品のテクニカル・アドバイザーさえ務めている。
 幾つかの意外な事実の提示を含め、エクソシストの歴史と変遷、および今日の社会における意味について考察する材料を与えてくれる一冊。
 
 著者のトレイシー・ウィルキンソンは、ロサンゼルス・タイムズのイタリア支局長を務めるジャーナリスト。ユーゴ紛争関連のルポに実績を持つ人物だという。
 300ページ弱のページ数なので、主題の歴史についての記述はごく簡潔なものであり、突っ込んで考えるには幾つかの参考書も必要になりそうだ。しかし、本書において最も読み応えがあったのは、エクソシストの施術者と被術者、そしてその周囲の人々に対する冷静なインタビューだ。
 それは、例えばエクソシストの必要性を強く主張する高位聖職者、科学的思考法を身につけた職業にありながら悪魔祓いを受け続ける女性医師、限定的ながら施術の有効性を認める精神科医、そして最も興味深いのは、悪魔祓いに疑問を覚え、被術者の精神疾患を疑いながらその求める声に応じて、彼らの相談をうけ続ける一神父の姿である。ここにおいて、エクソシストの今日的意味は、オカルティズムの範疇に収まるものではないことが、明示される。そして、イタリアにおける悪魔祓いの事例が、他国に比して飛びぬけて多い理由と推定される独特の社会的風土についても言及がある。
 
 悪魔憑きの科学的検証については、第8章「懐疑主義者と精神科医」において明確に述べられるが、それは結論というよりは、良くも悪くもエクソシストを必要とする社会的状況について、認識をより深めるものとして有効と言えそうだ。
 
 宗教の持っている社会的機能について考えてみることの出来る一冊★2つ半。

2015年06月15日

黄金の島 ジパング伝説

 昨日に引き続き、今日の本もマルコ・ポーロが話題。
 彼が語った黄金の島「ジパング」の伝説は有名だが、この本はイスラム社会、ヨーロッパに伝わった産金国としての日本像と、その伝説に憑かれて黄金を求めた人たちの姿を史書に追ったもの。

 素人にはわからない高度に学術的な視点や専門用語はないので、すらすらと読める。イスラム社会に伝わる謎の黄金島「ワクワク」の名前は、倭国が広東方言で訛ったものに由来する、などというトリビアに驚きながらも、16世紀東アジアにおける、ポルトガルとオランダの覇権抗争についても勉強できたりと、一応テーマこそ据えてあるものの、むしろ著者の雑談に聞き入るような、肩の凝らない楽しみ方のできる1冊だ。
 それにしても、17世紀に入ってさえ極東アジアは、欧米人にとってはもちろん、日本人にとってさえ荒唐無稽な「探検」の対象地域であったというのは、間宮海峡の発見が19世紀であることを考えれば当然かもしれないが、改めて知ってみるとちょっと意外だ。うーむ、我々はたしかに辺境の化外の民だったわけだな。

 アートディンクの「アトラス」なんぞにはまった経験のある人にはお薦め。★2つ半

2015年06月14日

百万のマルコ

 マルコ・ポーロによる東方見聞録は、彼がジェノヴァの牢に入れられていた際、その語るところを小説家、ルスティケロがまとめたものであるとされている。
 この物語は、その経緯を短編の連作として描いたものだ。といっても、ここで語られる東方の物語は、マルコが事実語ったとされるそれとは異なり、モデルとなったいくつかの事例はあるようだが、その大半は著者による創作である。

全13編
「百万のマルコ」
「賭博に負けなし」
「色は匂へど」
「能弁な猿」
「山の老人」
「半分の半分」
「掟」
「真を告げるものは」
「輝く月の女王」
「雲の南」
「ナヤンの乱」
「一番遠くの景色」
「騙りは牢を破る」

 ストーリーは、マルコが「東方世界」の国々で経験した難題をパズル仕立てで語り、同じ牢に閉じ込められた数名の若者達がその解答を競い合う、という、まあ「黒後家蜘蛛の会」式。
 正直、推理小説を読んでも犯人もトリックも解明したことのない、私のようなゆるい脳みその持ち主には、この謎が出来がいいのかそれなりなのか、評価することは難しい。難しいのだから止せばいいのに、あえて言ってしまえば、玉、時にそれ以外、という気がする。
 ただし、そういった評価とはまた別に、マルコの語る異世界に、昔話に耳を傾けるような楽しさを見出すことはできる。(マルコが自らの語りを、常に定型句の『神に感謝、アーメン、アーメン』で結ぶのは、その様式への意識からではなかろうか?)個人的には、若者達が彼らなりの正解を見つけ出す「ナヤンの乱」が印象に残った。

 ちょいと味わいのある、知恵者の昔話。★1つ半。

2015年06月04日

剣豪伝説

 宮本武蔵、佐々木小次郎、伊藤一刀斎、柳生一族、上泉伊勢守、千葉周作、といった有名剣豪の、意外にわからないところの多い生涯、事績、その実力などについて、史書や現在に残る流派の伝承を縦横に調べ上げ、さらに直木三十五、山岡荘八、柴田錬三郎、山田風太郎などの諸作品からの博引によって、フィクションの世界で彼らがどのように描かれたのかを語りつくす、文字通り一冊まるごと剣豪の本。
 
 といっても著者は研究者ではなく作家であるため、人物個々に章立てをしてスペックを記述するような解説本の体裁をとっているわけではない。一応文章ごとの主役はあるものの、そこから話がわき道にそれ、あるいは過去に遡りしてしまう自由なエッセイ風のスタイルで、のんびりと雑談につきあうようにして薀蓄を楽しむことができるのである。
 そして、この雑談は、ときに熱が入りすぎて、まるまる特定作家の特定作品への検証で終わってしまっている章などもあり、なにやらその作品の巻末に付された解説を読まされているような気にならなくもない(笑)、ま、しかし、そのあたりの脱線具合もまた、縁側で寝転んで読むのに心地よい流れであったりはするのだが。
 
 剣豪と言う日本独自の「豪傑」であり「英雄」であり「妖人」でもあるという奇妙な求道者についての知識は、彼らが大いに活躍した、40年前までの娯楽作品の世界に親しむための「基礎教養」である。私たちの想像以上に豊かな、その世界の娯楽としての奥行きを理解すための手引き書として、本書には価値がありそうに思う。★2つ。

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