2015年09月27日

いのちのパレード

 「どの作品を読んでも同じ」というタイプの作家がいる。
 だからといって必ずしもつまらない、というわけではなく、愛読者はむしろその大いなるマンネリの安定した世界に心地よくひたることができるわけで、実際私にとっても、そういった存在の作家というのは何人かいる。
 
 さて、そういった作家と比較すると、恩田陸は危険だ。
 作風を理解するキイワードとして「ノスタルジー」とは言われるものの、作品そのもののジャンルは、極めて広いカテゴリーにまたがっている。ファンタジー、ホラー、SF、ミステリー、サスペンス、どんな世界が展開されるか、は実際にページをめくってみるまでまるでわからないのだ。
 本書はそんな恩田陸のスタイルが、私にとって楽しめるかたちとなった一冊だった。極めて多彩なイマジネーションの世界を詰め込んだ幻想小説集。
 
全15編
「観光旅行」
「スペインの苔」
「蝶遣いと春、そして夏」
「橋」
「蛇と虹」
「夕飯は七時」
「隙間」
「当籤者」
「かたつむり注意報」
「あなたの善良なる教え子より」
「エンドマークまでご一緒に」
「走り続けよ、ひとすじの煙となるまで」
「SUGOROKU」
「いのちのパレード」
「夜想曲」
 
 作者によるあとがきでは、早川書房の異色作家短編集に強い影響を受けた、とのことで作品の大半は無国籍、あるいは異世界風。日本を舞台にしたものと思われる作品も、やはり現実に一枚の紗がかけられたような奇妙な距離感はある。
 作品ごとのカラーは、ユーモラスなものから肌に粟の立つものまで、相当に違いはあるが、その切れ味のよさに優劣はない。特に印象に残ったのは、宇野亜喜良のイラストを彷彿とさせられた「蛇と虹」、「かたつむり注意報」の香気のようなものを感じさせる静謐の描写、そして「走り続けよ、ひとすじの煙となるまで」のある種、古伝承のような物語の力強さだ。
 
 これは極めて出来のいい「大人のための童話集」なのだと思う★3つ半。
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2015年09月25日

日本怪魚伝

 「フィールドアンドストリーム」なる今は亡きアウトドア系雑誌に連載されていた、魚と人との交流を描いた全12編のエピソード。
 
 怪魚といっても、人を呑むとか、そういう化け物の話ではない。
 ここに登場するのは、イトウやレイクトラウトなど、実在の魚に限られている。
 ただし、それらは絶滅を危惧される種であったり、現在では容易にみつけることのできない巨大な個体についてのエピソードであるため、往々にしてリアリズムの世界からほんの少し外れて、幻想世界の入り口への案内役を果たすこととなっている。
 
「四万十川の伝説 アカメ」
「縄文の壺 ビワコオオナマズ」
「蜃気楼 リュウグウノツカイ」
「河は眠らない ニッコウイワナ」
「大鳥池 タキタロウ」
「再会 アオウオ」
「最後の銃声 オオウナギ」
「捕食者 クエ」
「ランカー オオクチバス」
「遺言 レイクトラウト」
「継嗣の鐘 コイ」
「鬼を彫る男 イトウ」
 
 一冊にまとめられてはいるものの、「アカメ」「ニッコウイワナ」「オオクチバス」などはノンフィクションであり、またフィクションについても、時代小説あり、幻想譚あり、そして王道とも言うべき、失われ行く自然との交歓を描いたものもありで、かなり多彩な内容となっている。正直なところ、これらの魚類に関心を持つ人でなければ、いまひとつ乗り切れない作品もあるのだが、それでも巨大魚というモチーフの魅力は、万人に通用するものと思う。
 個人的なベストは、早世した父親の残した、用途不明の巨大なルアーを相続した青年が、そのルアーを使うべき魚を追いもとめる「遺言 レイクトラウト」。
 
 昔、『釣りキチ三平』を読んでいた人ならば、懐かしい名前の魚も登場。★1つ半。
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2015年09月22日

久生十蘭「従軍日記」

 戦前から戦後にかけての探偵小説、時代小説界の巨人、久生十蘭による、昭和18年の台湾、フィリピン、インドネシア方面への従軍日記。
 
 従軍日記といっても、十蘭の場合は、一兵卒として召集されて戦塵の中に日々を過ごしたという話ではなく、海軍報道班員として前線の様子を伝えるために派遣されたものである。
 当時既に作家としての名声を獲得していた十蘭は、行く先々で歓待を受けている。
 その食卓には、スキヤキ、刺身、天麩羅、が並び、アルコール類も存分に楽しみ、夜は夜で連日の賭け麻雀か、悪所へ通いつめる日々であり、これはもう「自堕落」という言葉が脳裏をよぎってしまうような生活である。
 旅程も最後に近づけば、空襲に晒される前線の町での逗留も経験し、防空壕内での不安についての記述など「従軍日記」らしくはなるものの、これも翌年以降の本土空襲における悲惨な記録の数々と比較すると、読むものの胸をうつというところにまでは至らない。
 
 しかし、そういった俗な日常の描写からは、卓越した文体と技巧で知られるこの作家の、予想外の人間らしい本音がのぞくところがある。それを、本書の解説で橋本治は意外なものとしているし、十蘭については「好み」というのもおこがましい程にしかその作品世界を理解していない私にとってもまた、興味深いところではあった。
 ……といっても、十蘭の日記、と思って読まないと、若い世代ならば少々違和感を覚えるかも、というのが私の正直な感想ではあるが(笑)
 
 十蘭の作品が好きな人には勿論、てらいの無い見聞を記しているところは、大戦中の事情を知る資料としても面白い。★2つ半。

2015年09月20日

カポーティ

 トルーマン・カポーティが、その代表作『冷血』を創り上げる過程を描いた作品。
 
 『冷血』は、1959年、カンザス州で起きた家族4名の惨殺事件を取材して書き上げたもの。文学を解する資質などまるきり持ち合わせていなかった高校生時代の私も、実録犯罪物のつもりで読んでみたものの、正直、あまり面白いとは思わなかった。無論、それは私の見当違いのアプローチゆえなのだが、それにしても犯人のうちの1人である、ペリー・スミスに寄せられた作者の同情には、なにとはなしに違和感を覚えたことは記憶に残っている。
 
 映画では、このペリー・スミスに対するカポーティの複雑な感情を精写している。
 恵まれない家庭環境という共通点から、それが作り出したどこかしら歪な性格、しかし、それをペリーに語るにおいては、ペリーの好意を獲得し、取材を成功させるための手段としての価値を、カポーティは自覚している。それでいて、真性のエゴイズムに彼の心が貫かれていたのか、といえば、そうでもない。
 ペリーの共犯者、およびカポーティの恋人や幼馴染が、いずれも男性的な資質を強く持っているのに比較して、カポーティとペリーは、これは相似するように女性的雰囲気を漂わせている。彼らはたしかに通ずるものを持っていたのだ。しかし、そこにあった感情は、共感でも同情でもなく「友情」なのかもしれないが、言葉で定義することは難しい心のはたらきのように見えた。
 
 全編に渡って抑えた演出で淡々と進められていくストーリー。時折に挿入される絵画のような見事な風景のカットと、主演のフィリップ・シーモア・ホフマンの、軽妙と酷薄をみせるオスカーを獲得した名演が印象的。背景となった事実についての丁寧な説明は提供されないので、事前にざっとでも知識を仕入れておけば良かった、と観てしまってから少々後悔した。それがあれば、さらに味わい深いものとなっていたと思う。
 
 傑作です。★4つ。

2015年09月05日

ウェス・クレイヴン監督死去

いや、日記として記すには気後れがする旧聞なのだけれど、ウェス・クレイヴン監督の訃報

これで、名前だけで無条件に観る監督は、サム・ライミのみになってしまったなあ、というのを実感。
ただし、クレイヴン監督については、この作品の続編を観たい、という作品はないので、個人的には最後まで創作活動を続けてくれたことへの感謝の気持ちが強い。
「スクリーム」の続編も、シリーズ化への甘い見込みを断ち切った、気持ちのよい(ま、ホラーでそういう表現は微妙なのだが)ものであったし、「リアルナイトメア」の後には、フレディの再登場は必要がないことを、確信させてくれる。

こういう創作者は、実は案外に珍しいのではないか。
個人的なホラー映画オールタイムベスト10のうち、1/3はこの監督の作品が占めている。
ご冥福をお祈りいたします。
posted by Sou at 21:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする