2016年01月31日

リターン

 本邦におけるストーカー系サイコスリラーの初期傑作「リカ」。本作はその、なんと10年ぶりの続編にあたる。
 
 前作の「リカ」は、ホラーサスペンス賞も受賞し、ドラマ化もされた成功作なのだが、他ジャンルへも創作領域を広げていた作者の筆は、中々に戻ってくる機会をみつけられなかったようだ。
 がしかし、10年を経て作者はいっそうパワーアップしたサイコパス、リカをつれて戻ってきた。
 
 なにしろ、このリカという女性は、ジェイソンに匹敵しそうなタフネスに加え、科学捜査技術を知悉して警察の裏をかき、海外のサーバーを踏み台に出会い系掲示板に跳梁するスキルをも持ち合わせているのだ。潜伏期を経て復活した彼女の凄まじさ……一体、少々有能な程度で、普通の刑事の手に負えるものなのだろうか、とは、率直なところの感想である。
 そのため、と言っていいのか、主人公たちの活躍は「捜査」と言うよりもむしろ、都市というフィールドを舞台とした、特異な「猛獣狩り」といった様相をみせてもいるのだ。
 
 このリカの怪物性が物語を動かして行き、ストーリー自体は前作に比較してもややシンプルになっている。したがって、リーダビリティも驚くほどに良く、300ページを越える1冊を私は1時間余で読了してしまったが、特に改行や会話を多用するものでもないのに、これは珍しい経験だった。
 
 ノンストップのスリラー。前作ほどのインパクトはないけれど。★1つ半。
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2016年01月24日

さよなら、シリアルキラー

 ティーンが主人公である小説を読むことは、あまりない。
 中年の私には感情移入しにくく、また、読後の感想もいまひとつということが多かったからだ。しかし、本書はその久々の例外となった。
ジャズは高校三年生。町ではちょっとした有名人だ。ある日、指を切りとられた女性の死体が発見され、ジャズは連続殺人だと保安官に訴える。なぜジャズには確信があったのか──彼が連続殺人犯の息子で、父から殺人鬼としての英才教育を受けてきたからだ。親友を大切にし恋人を愛するジャズは、内なる怪物に苦悩しつつも、自ら犯人を捕らえようとする。全米で評判の青春ミステリ。

                        本書裏表紙 内容紹介より

 暗黒面に落ちた父親を否定し、その息子であるがゆえの優れた能力を駆使して自身の未来を拓く物語、と書いてしまえば、まあどこかで見たような気がするというか、一種古典的なものなのだが、それだけに個性と完成度を高めることは難しい。
 本作の場合、「シリアルキラーの父親」という設定はたしかにアイディアなのだが、それよりは主人公であるジャズのキャラクターの深い掘り下げによってそれに成功しているようだ。
 
 この主人公・ジャズは一般的な意味では好人物ではない。
 万人に愛される美貌による魅力を行使し、目的のためには他者を利用することをためらわない。そして、父親から授けられた対人交渉術は、とてものこと10代の少年のものではない。
 しかし、それでもなお、家庭を失った少年の孤独感は、常に物語に満ちている。
 世界へのかすかな信頼に支えられた倫理と、それを脅かす「血」の呪縛、そして、あまりに巨大な存在である父親の及ぼす支配力。それらの狭間を息をつめるようにして歩む17歳の心の描写は、年齢を越えて、読み手にもたらすものがあるようだ。
 
 そして、この若者の姿を伝えてくれる、本書の訳は良好である。
 ジャズと、彼の良心を深いところで信じているガールフレンドのコニー、そして親友のハウイー。作中の会話文で、それぞれの口調がいかにもらしく、あー、アメリカのティーンの女の子は、こういう言い方をしそうだな、というところが優れて同時代感を備えたものとなっている。もちろん、そういった少年少女のみではなく、信頼すべき保安官、エゴイスティックなメディア関係者、そして史上最悪のシリアルキラーである父親・ビリー、といずれの言葉もキャラクターの印象を深く記憶に刻むものとなっている。
 ちょっとこういうセリフの上手さは映画翻訳などでもあまり例をみないものなので、翻訳者の満園真木さんはそちらでの実績などはないのだろうか、と人となりを検索してみたところ、インタビューがみつかった。
 ここで語られた希望を果たされた、ということかと思うのだが、それは本書を手にする読者にとっても、幸運となっているように思う。
 
 三部作ということなのだが、一冊目しか読んでいない今から、すでに三冊しか読めないのか、と、それが残念に思われるシリーズだ。★3つ半。

2016年01月17日

れんげ野原のまんなかで

 日常の謎系、しかもかなりほっこりなのは表紙からも一目瞭然。
 
 舞台は地方都市の図書館。
 バブル期に計画された施設とあって、利用者もほとんどない閑古鳥の鳴く状況で、来館者を増やすため、本の魅力を伝えようと悪戦苦闘する司書たちが、遭遇する5編のミステリー。
 
第一話 霜降──花薄
第二話 冬至──銀杏黄葉
第三話 立春──雛支度
第四話 二月尽──名残の雪
第五話 清明──れんげ野原

 探偵役が秀でた推理の能力を備えた中年男性司書、ワトスン役は彼に魅かれる大学卒業後間もない若き女性司書、と、なんとなく美味しんぼスタイルの組み合わせながら、男性は既婚者であり、といって、ドロドロとした愛憎劇などに向かうことがないのは、これも予想通り。
 とはいえ、ストーリーの経糸となるヒロインの気持ちの成り行きは、それほど安直に扱われているわけではない。ひとつ間違えば「ほっこり」を台無しにする危険な感情なのだが、物語の中におけるリアリティや、人物のキャラクターがなんとも絶妙であるために、彼女が見つけ出す結論にも、読む者を納得させるものが備わっている。
 
 実は、これが本書のカラーだ。
 日常の謎系と言いつつも、結構に辛いストーリーもあり、中には殺人事件(といっても遠い過去の事件だが)さえも登場するものの、どこかしら柔らかなものに包まれている感触がある。ただ、それは安直な人情とかではなく、あたりまえの人たちがそれぞれの生を歩む上で身につけている、あたりまえな倫理や生真面目さのように思われる。
 日ごろ、死んだの殺したの、といった作品ばかりを選んではいるものの、私はこういうほのぼのとしたお話が嫌いではない。人情で強引にハッピーエンドに持ち込む種類の物語が肌に合わないというだけで、本書はそういった安易な優しさには距離をおいている。
 
 紫式部を主人公とした王朝ミステリで、鮎川哲也賞を受賞している作者らしい、5編のタイトルもそれぞれに趣深い。★2つ半。

2016年01月16日

獣の記憶

 西洋史の著名な謎のひとつ「ジェヴォーダンの野獣」事件を背景にして描かれたゴシックミステリ。

 「ゴシックミステリ」とあるものの、幻想味、あるいは謎解きオンリーというわけではなく、ストーリーの軸は博物学者を目指す学生・トマと、貴族のお姫様・イザベラの階級を越えたラブロマンスとなっている。

 もちろん、作中でこの著名な謎の解明をいい加減に片づけているということではなく、野獣を追う捜査には、18世紀の科学的知見による検討が加えられる件も多々、さらにサイコパスの登場や拘束された狂人への尋問など、現代的なサスペンスの定石をも押さえていると言えそうだ。また、登場する歴史上の有名人はいずれも魅力的で、主人公の師である精力的な博物学者・ビュフォンや、アンシャン・レジームの頂点に君臨するルイ15世、さらに、デュ・バリー夫人などは大活躍で、個人的にはヒロイン以上に精彩を放っているように感じられた。
 よって560ページを越えるボリュームながら、読み進めるに苦は無い。……のだが、正直、やはり主人公たちの恋の描写は、枯れかけの中年男である私には、少々甘くて胃もたれがした(苦笑)

 巻末の解説によれば、著者ニーナ・ブラジョーンはヤングアダルト向けのファンタジーなどで活躍してきた作家、ということだから、想定読者層は私よりもかなり若い層なのかも知れない。
 ということで、恋の話に乗れない中年男視点では★2つ。

2016年01月11日

MAMA

 ギレルモ・デル・トロ制作による米・西合作のホラー。
 
 心中を意図する父親によって連れ去られるも、その手にかかることなく、山林の中で生き延びた幼い少女二人。5年の後に奇跡的に保護された彼女たちを引き取ったのは、若き叔父夫婦だったが……という導入部。
 有名なオオカミ少女伝説(こちらも女の子二人)を想起させられる設定なのだが、問題は少女たちを育てていたのがオオカミよりもよほどやっかいな……というところ。
 
 こういう設定は、巨大な自然の残るアメリカでなければ成立しなかったことだろう。日本でやったのでは、リアリティが失われそうだ。
 もっとも、それでありながら「MAMA」のヴィジュアルは、東洋人風であり、その不気味さのテイストにもJホラーの影響が見て取れるように思われた。
 いまさらにJホラーと言うのも、であるし、加えてCGがグリングリンと威力を見せ付けてくれるのも、やや、これじゃない、感あり。なんというか、うそ臭いのが明らかでも、白い服を着た長い髪の女を実写で使い、CGはそれに効果を加えるサポートに徹した方が、と思ってしまうのは、あるいは着ぐるみ特撮文化で育った日本人である、私の感覚のズレなのだろうか。
 
 というわけで「MAMA」の“造形”についてはやや不満が残るものの、しかし、それでありながら作品としては個人的には高い満足感があった。これはなによりドラマ部分がしっかりとしていたからだろう。
 少女たちを引き取り、気乗りもしないままに母親役をつとめるうちに、母性に目覚めるヒロイン・アナベルの演技も、その過程での個々のエピソードも実に巧く、ある種定番化したキャラクターをなぞっていくことがむしろ求められることの多い、ホラー映画というジャンルで、もう一段深く人間像を掘り下げ、それに成功しているのである。
 アナベル役のジェシカ・チャステインは、蓮っ葉なパンクロッカーという、母親適性の不足するキャラからの変身の演技が見事、また、冒頭の数カットで、娘との心中を試みる父親を演じたニコライ・コスター=ワルドーの姿は、強いインパクトがあった。
 
 やはり、MAMAのヴィジュアルが最大の難点か。
 しかし、私はこの映画は好きだな。★3つ。
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2016年01月10日

フロイトシュテインの双子

 うぐいす祥子によるホラー漫画短編集。

全8編
「フロイトシュテインの双子 第1話」
「フロイトシュテインの双子 第2話」
「フロイトシュテインの双子 第3話」
「森の中の家」
「とむらいバレンタイン」
「星空パルス」
「恋の神様」
「フロイトシュテインの双子 その後」

 代表作「死人の声をきくがよい」(ひよどり祥子名義)の推薦者名には、同業のホラー漫画家がズラリと並んでいるという、ホラー愛好家からの評判高き作者だ。
 
 で、読んでみると納得なのだが、作中のミスディレクションには、ホラーマニアならではの巧妙さがある。読み手が記憶に持つ「前例」に倣った物語の展開予想を、まるであらぬ方向に流し、がくりと来た体勢を立て直すまでの間隙を突いて笑いが繰り出され、ついうっかりとそれに乗ったところで、再び恐怖にひきこまれる。
 この恐怖と笑いの自在であるところが、なにより作者の個性だ。
 そして、様式化したホラーの約束事を利用して、そこに独創を一段加えて再構築する手法は、個人的にはウェス・クレイヴンのそれを想起させられるところでもある。
 
 ただ、読み手が特にホラー好きでない場合、このミスディレクションは十分に機能しないこともありそうで、そのあたりが巻末で語られる掲載誌との相性の話になるのか、という気はたしかにする(笑)
 
 全8編ともにホラーマニアの心に響く「逸品」だが、ことにモダンホラーとラノベがマリアージュしたかのごとき「星空パルス」は必読。★2つ半。
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2016年01月04日

喰らう家

 美女のサービスカットも、瞠目すべきCGの冴えも無いながら、アメリカではそこそこのヒットとなったホラー映画。邦題はれいによって原題無視だが、内容とは乖離していないので、これは良心的。
 
 一人息子を亡くした両親が、思い出の残る家を離れて転居してきた田舎町。19世紀半ばの建物ながら、格安の新居はなかなかに広く、しっかりとした屋敷だが……という、ホーンティングハウスもの。
 登場する「住人たち」の背景に、アメリカンホラーらしい周期性なども加えているところはこのシチュエーションとしては、やや目新しいとも言えそうなのだが、意外性を狙ったひねりはほぼ無く、ストーリーにも無理のない手堅さを感じられた。
 また、舞台は雪深いニュー・イングランドの田舎町であり、50代の夫婦と、同世代のその友人夫婦が遭遇する怪異体験という、主要登場人物も思い切り地味ながら、量的には控えめとは言え、スプラッタでゴアな描写でたたみかけてくる展開もあって、まず「普通のホラー」として素直に鑑賞することができる。
 
 それにしても、この作品のなによりの特徴は、やはり主人公たちの年齢の高さだ。
 そこを気にしないですむのは、観る側の私の方も近い年齢である……ということもさりながら、ヒロインを演じたのがかのバーバラ・クランプトンであったことが大きい。

 80年代ホラーの隆盛期の中で、スチュアート・ゴードン監督の数作品でヒロインを演じ、世界中のホラーファン青少年の脳裏に、消えることの無いピンク色の記憶を残してくれた彼女の主演作とあっては、少なくとも私と同世代のファンならばまずは、観なくては、と手に取るはずだ。
 そして、久しぶりに(個人的には「キャッスル・フリーク」以来)ディスプレイに映るクランプトンは、案外に品良く、息子を失った初老の夫人の悲愁を美しく演じている。
 やあ、お久しぶり、との軽い懐旧を覚えることができるのは、年寄りの特権だろう。
 
 尚、本作の監督であるテッド・ゲイガン自身が我々と同世代なのか、と思いきや、さにあらず、実はいまだ30代であったのはこれもまた意外。次の仕事も決まっているようなので、もし、懐かしいホラー作品へのリスペクトがらみの演出などが観られるのだとしたら、注視しておきたいところである。
 
 正直、私のように主演女優に関心がなければ、やや大人しい作品と感じてしまうのも否めないかも。故に個人的には★3つ半。私情を抑えれば★2つ。
posted by Sou at 21:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画:ホラー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月03日

幽 Vol.24 特集リアルか、フェイクか

 発行元企業の変化に伴って、いろいろと内容の方も変化しているような、本誌は24号。発売時に生まれた子どもは、今年は中学生になるわけだ。うむ、私も歳をとるはずだ。
 
 さて、その変化のひとつは巻頭の東直子の文章と中上あゆみのイラスト、派手に目をひく画ではないのでうっかりとスルーしてしまいそうになるが、その細緻な描写と文章のコラボレーションは、紙面のむこうにはるかな広がりを幻視させてくれるもの。
 
 特集は「リアルかフェイクか」と称して、虚実のあわいに成立する「怪談」の幻妙なる世界について。
 まず、浅田次郎のインタビューは、別ジャンルで大きな成功を修めている作家の怪談論として興味深く読むことができた。とりあえず、書店にて「神坐す山の物語」を手に取ってみようか、と考える。ただし、ネット検索すると帯には「切なさにほろりと涙が出る」とか書いてあるらしく……うーむ、いや、うーむ。
 また、小説「残穢」に“登場”している福澤徹三が、作中エピソードにからめて語る特別寄稿文「残穢の震源から」は、貴重な秘話である。
 
 
 さて、連載小説では近藤史恵による学校怪談「震える教室」がスタート。
 私も好きな作家さんだが、まだ怪談を読んだことはない。今号のそれは、非常にオーソドックスな題材を、ほぼストレートに扱った正当派の一編。次回への期待がふくらむ。
 
 綾辻行人は「ねこしずめ」
 相変わらず、灰色の霧中を行くかのごとき、悪夢とも断じがたく、しかし、暗い予感にとらわれる世界。少し前に読んだ、小川未明の怪談集に、なにか相通うものがあるように感じた。もし、イラストをあてるならばつげ義春の一択。
 
 京極夏彦「虚談 ちくら」
 怖いのも面白いのも当たり前、その上で独特の仕掛けが必ず入る。本誌の大看板たりえるのは、ただネームバリューによるものではないな、と納得の逸品。
 
 小野不由美「営繕かるかや怪異譚 まつとし聞かば」
 こちらも大看板。ただ、京極作品ほど技巧の挑戦を試みている感はなく、ではマンネリなのかと言えば、無論そうではない。読み手の期待通りに肌に粟を立てるものをもたらしながら、しかも、型どおりのところにおさめず、闇の中に消える展開がさらに怖い。
 
 山白朝子「鼻削ぎ寺」
 タイトルに偽りなし、血まみれドロドロな、時代小説版ソリッド・シチュエーション・ホラー(?) この作者は、時々こういう身も蓋もないナスティな話を書くので、感動するつもりで読む人は油断できない。
 
 恒川光太郎「廃墟団地の風人」
 少年と風人との淡く、静かな交歓。そして迎える別れのとき。
 子どもを主人公とする話も、泣ける話というのも、私は本来あまり好きではない。がしかし、恒川光太郎作品には、どうにもその例外ばかりを見出してしまう。
 
 
 怪談実話では今回は安曇潤平の「ぼくちゃん」が白眉。
 私が過去に読んだこの作家さんの作品中では、私的評価としてはこれ以上のものはなかった。くだくだしい感想は書かない。読むべし。
 
 
 ところで、本誌主催の『幽』文学賞、『幽』怪談実話コンテストは、いずれも今号にて終了となるらしい。で、まさか最後だからというわけでもないのだろうが、講評は非常に厳しく、ある意味本号で一番恐いのは、この選考会リポートではないか(笑)
 
 12年間も読み続けて、尚、新鮮に怖がることのできる小説に出会えるのだ。怪談も、進化しつづけているということなのだろう。新年を迎えてほのぼのと喜ばしく、また、楽しみなことである。★3つ。
posted by Sou at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書:怪談・ホラー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする