2017年01月15日

『幽』Vol.26 特集:夢野久作

 私事に多忙で、また、随分と休んでしまったが、ようやく復活。
 
 今号の特集は夢野久作。
 我々の祖父母の世代が知りながら、しかし社会のありようが大きく変化したことから、幻想を仮託しうる異世界となってしまった「戦前期」を、ある種象徴する文学者だろう。 
 その影響が現代の怪談作家にも及んでいることがよくわかるのが、三人の作家による競作企画となる「怪談ドグラ・マグラ」
 
 澤村伊智「居酒屋脳髄談義」は、いかにもこの作家らしい、身近な嫌らしい人物の描写からスタートする悪夢の世界。
 佐藤究の「猿人マグラ」は、久作と同郷人である作者の、少年期への回想から導かれる実話怪談的趣に、ややぬるいかな、と思っているといやいや、こう来るとは思わなかった一撃に悪寒を覚えることとなる。
 そして、ちょっとお久しぶり感のある飴村行の「U国」は、これは傑作。
 作風と題材の選択がはまり、戦前期の傷痍軍人の独言として綴られるグロテスクな世界は、私の脳裏には丸尾末広の挿画で再現された。ナスティな描写の多さから、あまり好みの作家ではなかったのだが、本作についてはその過剰性と非現実感が見事な効果を成しているように思う。
 
 能楽への造詣深かった久作とその作品について、文学研究者と能楽者による座談会「夢野久作と芸能」も、アカデミズムに偏った硬さがなく、幻想文学者の感性に対する、芸能実演者の視点からの感興を語った件などは、大いに興味深かった。
 
 ということで、特集は近年まれに見る満足度の高いものだった。それで連載陣も好調ならば……というところなのだが。
 
 京極夏彦の「虚談 キイロ」は、このシリーズではパターン化した、ディティールに凝った実話怪談風のテイストを持つ一作で、主人公が友人と興じた中学生時代の奇妙な「遊び」を語るやや散漫な回想譚ながら、どことはなく、落ち着きの悪い結末に置き去りにされる、まあ近年の京極作品らしい灰色の物語。……しかし、これはもしや完結していないのかな?
 
 これとは反対に、有栖川有栖の「濱地健三郎の事件簿」、近藤史恵の「震える教室」、朱野帰子の「帰り道」などは、怪異の説明がなされ、物語の決着が明示される正統派の怪談。ただそれだけに、どの作品もひねたロートル怪談読者である私を意外性でのけぞらせてくれるようなものではなく、少々大人しい印象。もっとも、幸せを失った女性の静かな再生譚という、かなりベタな展開ながら、山白朝子の「私の頭が正常であったなら」には素直に感動してしまったので、つまるところ自分の趣味という以上の判断ではない。
 
 本号のベストは、恒川光太郎の「彼方の町から世界がはじまる」
 路面電車でつながれたいくつかの駅とその周辺の街で構成された、完成された小世界。そこで人生の様々な苦悩に捕らわれることなく、穏やかな生活を送る主人公の元に届く不躾で奇妙な「手紙」。
 学童向けの童話に登場しそうな優しい街に、塵労に疲れた主人公の寄せる気持ちは、中高年であれば共感はせずとも理解はしてしまうことだろう。
 
 他の連載陣については、漫画関連は近藤ようこの「たそがれの市」を除いては、やや満足感低め。いずれもページ数が少なく、切り口のみでみせる「奇妙なはなし」で、怖いと感じられるものは無かった。例外的に正面から心霊譚を扱った柴門ふみの「マンションのともだち」はあるのだが、どうにも駆け足感が否めず、個人的には残念だったところ。
 
 
 一冊を通じては、連載陣にこれというものが無かった、という印象なのだが、しかし、競作「怪談ドグラ・マグラ」の三作という収穫に、全ては許せそうな気分である。全体的に小説の分量が増えて、読み応えが増したのは嬉しい。ただし、次号では漫画にももう少しページ数があれば、というところ。ことに柴門ふみには絶対に。★3つ。
posted by Sou at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書:怪談・ホラー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする