2016年04月16日

トマソンの罠

 とり・みきによる、トワイライトな短編集。
 
全8編
「トマソンの罠」
「エリート」
「鰐」
「渋谷の螺子」
「コインランドリー」
「雪の宿」
「帰郷」
「石の声」
 
 日々の生活の中で、かすかに聞こえてくるノイズのような「違和感」の存在。ふと気にかかり始めたそれを追っていくと、いつのまにか見慣れた景色が黄昏の中に消えて、突然に底の見えない谷間が眼前に開く。
 
 凡庸な説明だが、表題作をはじめとして、ここに収められている作品のいくつかは、そんな印象を私に与えてくれた。
 「エリート」や「雪の宿」など、民俗学的な主題を扱ったものもあり、プロットはむしろ幻想譚の領域に立っていそうでもあるのだが、作者の視線が捕らえた、現代の街の景観、社会の風俗が、充分に紙上に再現されているために、私たちの世界に尚、しっかりと片足を残して、一種都市伝説的な怪談の興趣をもたらしている。もっとも、時代をきっちりと切り取りすぎたがために、女性のファッションなどを観ると、どうにも中途半端な懐古気分に満たされてしまう側面があるのは、これは止むを得ないことだろうが。
 コミカルな「鰐」「渋谷の螺子」は、例外的に気の休まる作品、また、巻末の「石の声」は、作者の代表的長編伝奇漫画「石神伝説」の序章的短編。そのオープニングは、モノクロの漫画という特色を充分に生かして、60年代の円谷作品をほとんどの同世代に想起させてくれそうだ。
 
 活字の作品を読み終えたような、そんな読後感が残るのも独特である★2つ半。

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2016年04月10日

血引きの岩

 星野之宣が、ホラー誌をメインに発表した連作4編と短編2編。

「血引きの岩」
「黄泉の渦」
「日狭女」
「血反玉」

「マレビトの仮面」
「土の女」

 黄泉のモノの現世への来寇、というのは神話から引き継ぐ恐怖の古典モチーフだが、本作もイザナミ神話をベースにした、その星野バージョン。
 
 さて、星野之宣といえば、まず画力の高さだ。それは、たとえば本書の表紙でも歴然である。
 巨石の向こうからのぞく手──大胆に過ぎる構図であり、これで一枚画として押すことのできる画力の持ち主が、現在の漫画界にどれだけいるだろうか?。並みの漫画家では、描くことのできない表紙なのである。
 しかし、この画力は反面、高いリアリティを描写の対象に与えてしまうため、怪異や邪悪なものに実体的な質量を備えさせてしまい、超自然的の存在と感じさせない恨みがある。加えて、伝奇物に必須の強引な神話・歴史解釈などは、そのつくりものらしさが目立ってしまうのも辛いところだ。
 
 とはいえ、この傑出した画力によって描かれる世界が緊張感を伴わないはずはなく、展開のスピーディであることと相まって、ホラーというよりはモンスターパニックものに近い味ながら、いかにも星野らしいカタストロフの世界は現出している。近作では、相当に白っぽい画も見られるものの、本作では描きこみも相応にあり、伝奇的な小道具の使い方と、ジャンルの演出として意欲的なショックシーンの見せ方もある。
 
 宗像教授のシリーズよりは、作品世界の中でアイディアに一貫性があり、連作としてのまとまりは良いように思う。しかし、やはりこの人のホームは、宇宙か海洋ものかな、と思うのも事実なのだが。★2つ。
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2016年01月10日

フロイトシュテインの双子

 うぐいす祥子によるホラー漫画短編集。

全8編
「フロイトシュテインの双子 第1話」
「フロイトシュテインの双子 第2話」
「フロイトシュテインの双子 第3話」
「森の中の家」
「とむらいバレンタイン」
「星空パルス」
「恋の神様」
「フロイトシュテインの双子 その後」

 代表作「死人の声をきくがよい」(ひよどり祥子名義)の推薦者名には、同業のホラー漫画家がズラリと並んでいるという、ホラー愛好家からの評判高き作者だ。
 
 で、読んでみると納得なのだが、作中のミスディレクションには、ホラーマニアならではの巧妙さがある。読み手が記憶に持つ「前例」に倣った物語の展開予想を、まるであらぬ方向に流し、がくりと来た体勢を立て直すまでの間隙を突いて笑いが繰り出され、ついうっかりとそれに乗ったところで、再び恐怖にひきこまれる。
 この恐怖と笑いの自在であるところが、なにより作者の個性だ。
 そして、様式化したホラーの約束事を利用して、そこに独創を一段加えて再構築する手法は、個人的にはウェス・クレイヴンのそれを想起させられるところでもある。
 
 ただ、読み手が特にホラー好きでない場合、このミスディレクションは十分に機能しないこともありそうで、そのあたりが巻末で語られる掲載誌との相性の話になるのか、という気はたしかにする(笑)
 
 全8編ともにホラーマニアの心に響く「逸品」だが、ことにモダンホラーとラノベがマリアージュしたかのごとき「星空パルス」は必読。★2つ半。
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2014年12月31日

恐之本

 高港基資によるホラーコミック。コンビニ本に収録されたものからのセレクションとのことだが、見逃していたことを大いに反省しているところだ。

全11編
『先住者』
『閉ざされた窓』
『墜落』
『顔を見るな』
『泣く女』
『ヨビト』
『指切りげんまん嘘ついたら』
『安い車』
『二十年女』
『地域共通夢』
『駐在所』

 個人的な漫画家への評価基準のひとつとして、ネームと絵による情報提示の割り振りの上手さというものがある。これが下手な漫画家であると、ネームへの依存が大きくなってしまい、台詞回しは不自然でくどく、絵の方は絵物語の挿絵状態になってしまったりするのである。しかし、これは本来、読み手の読解力が漫画家の想定したそれに近い場合に機能するものであるから、そこには自ずと「相性」というものがある。
 高港基資は、私にとってはその「相性」が良い漫画家だ。
 デビュー当時からのスマートな絵柄は完成度が高く、無駄のない絵と言葉の切り替えは小気味良くかみ合ってテンポを作っている。そして、その漫画家によるホラーというのだから、これはほとんど読む前から高評価を約束されたようなものだ(笑)
 
 実際に読んでみた結果、やはり期待は裏切られなかった。
 盛り込まれている創作者としての工夫は、作品の骨格そのものはジャンルとして一般的なものでも、この作者ならではの趣向として楽しむことができ、ことに、ホラーというジャンルでは必須の「語るべきこと」と「語らざるべきこと」、「見せるべきこと」と「見せざるべきこと」の境界を熟知したストーリーの構築は、きわめて巧みなものである。
 その好例は『二十年女』。
 漫画という表現手法では、恐怖の対象をはっきりと視覚に供することを是とする場合が多い。ために、ややもするとグロテスクなだけの描写に傾斜しがちなのだが、本作にはそれがない。シンプルで癖のないキャラクターが、過剰なデフォルメや効果を背負うことなく、静かにコマの中に立つ。
 そして、そこで語られるのは、
──あれは何だったのだろう?
という、少年時代の腑に落ちない記憶の断片である。しかし、それが並べられて行くうちに、ゆっくりと仄暗いのものが立ち込め、そして遂に突き落とされる。これはいわゆるJホラーの手法だが、それを能く漫画のものとしている作品はよほど珍しいように思う。 
 
 本書の中では、やはりこの『二十年女』がベストだが、サイコホラー系の作品も出色である。反面、超自然を扱った他の作品は、切り口こそ非凡ではあるものの、やや読み手に親切に過ぎて、私の好みからは外れているようだ。とは言え、全編が短編のホラーコミックとしては、明らかに水準を越えるものではあるのだが。
 
 既巻は第5集まで。第6集の発売は年明けだそうだ。★3つ半。
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2014年12月29日

妖怪HUNTER

 諸星大二郎の代表作、稗田礼二郎シリーズ中の一短編『闇の客人』を、井上淳哉が中編としてリメイクしたコミック。

 企画自体がそもそも厳しい。
 諸星大二郎のような、相当な漫画通にまで熱心なファンを持つ漫画家の作品をリメイクしては、これは誰がやっても批判を受けるに決まっている。私自身、ファンとして40年近い時間を過ごしてきたが、さて同じことをやっても期待できそうな漫画家といっては、まあ、五十嵐大介ぐらいしか思いつけない。
 
 そこに敢えて挑戦した、井上淳哉の心意気は買うべきかと思う。
 しかも、編集に企画を押し付けられたという風ではなく、たしかに漫画家自身がオリジナルへの敬愛を持ってこの仕事に取り組んだのだろう、オリジナルとは全く異なるシャープな描線をベースとした、自身の画風を十分に生かす方法を計算し、採用している。
 また、過疎に悩む町の風景、自治体の取り組む祭りの様子などは、こういった田舎の生活を知っている人間でなくては描けないリアリティがあり、一方、娯楽映画的な流血や破壊描写、さらにエロティシズムの添加もこの画風ならではだろう。そういう意味では、もし、この作品にオリジナルが存在せず、当初から井上淳哉向けの原作として提供されていたものならば、それをよく生かしたものと評価できそうな良作にはなっているのではないか。
 
 しかし、残念なことにオリジナルの壁は、あまりに高い。
 鬼神の存在にあれこれと加えた生真面目な説明に熱意はうかがわれるものの、それらを無視して不合理をそのまま不合理として可視化し、読み手に戦慄を覚えさせる諸星の力量の前では、その努力も苦闘と見えてしまうほどなのだ。

 個人的には、私はこの作品は嫌いではない。
 再度、諸星作品に挑戦することがあれば、やはり私はそれを買うことだろうし、そこに一定の満足を得ることができるだろう。しかし、残念ながらそれは、オリジナルを読んだときのそれに及ぶものではないことも、ほぼ予想できるのである。★2つ半。
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2014年08月21日

夢幻紳士 迷宮篇

 ミステリマガジン誌に連載された、『幻想篇』『逢魔篇』に続く、三部作の完結篇。
 全十二話の連作であり、ストーリーの概略を説明することは、個々の物語のネタばらしともなってしまうのでここでは省略。
 ひと時、妙に下膨れになっていたキャラクターの絵柄に加え、ストーリーの展開にも個人的には魅力を感じられなくなっていたシリーズなのだが、この三部作では完全復活というか、ベテラン作家による、新生「夢幻紳士」の感がある。
 
 巻末の作者の解説を読む限りでは、三部作となることは当初は構想になく、苦し紛れとも言えそうな状況から生み出されたものであったらしい。
 しかし、それぞれが独立した物語として完成され、しかも、この『迷宮篇』でその全てを包み込む大きな物語の構築に成功しているのは、発表誌に恵まれたとは言え、本来の構想さえ人気投票によって変更を余儀なくさせられることの多い、漫画という表現手段にあっては幸運な例外だったのだと思う。
 
 無論、そういった僥倖のみによってこの作品が完成されたわけではなく、例えば、デビュー当時からの個性である、サイレント時代のドイツ映画のような、陰陽を強調した風景のカットは、今作ではその要素をしっかりと残したまま、かなりの書き込みを加えた写実性を持ったものとされ、また、危うげな人物の表情なども、あまり旧作では見かけなかった(私が知らないだけかもしれないが)デフォルメを施されていて、正直、ひと時はマンネリさえも感じさせられたその表現にも、より多くの新鮮な部分が加わっている。
 そして、この個性的な絵柄を適切に組み上げ、コマによって視界を構成し、過剰にならない言葉で物語を接ぎ、あるいはその流れをコントロールする見せ方の技巧は、丁度この単行本の発売と前後して、漫画家デビュー三十周年を迎えた作者の実力が、遺憾なく発揮されたからこそのものだろう。
 
 若い頃には随分と熱中した漫画家たちでも、多くは年とともにその作品の質は衰えて、読書対象から外していかざるをえないものなのだが、一度関心を失った後、完全な再浮上を印象付けられるこういった作品を生み出してくれることは、オールドファンにとっては素直に喜ばしいものである。
 まだまだ作者の健筆ぶりには、期待できそうだ。したがって本書(というよりこの三部作)は、ご祝儀込みの★4つ。
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2014年08月16日

未来歳時記・バイオの黙示録

 現代と生活様式などはそう大きな変化はない近未来の世界。ただし、世界規模の戦争を経て、その中で高度に発達した遺伝子操作技術が兵器に用いられたことから、人と他の生物の遺伝子が混濁し、人ならぬ人、動物ならぬ動物が、社会のあちらこちらに姿を見せるようになってしまった時代の物語である。
 
 連作形式による全六編と、幕間劇と称する掌編五つ。
『野菜畑』
幕間劇1 難民
『養鶏場』
幕間劇2 サトル1
『案山子』
幕間劇 花
『百鬼夜行』
幕間劇 サトル2
『シンジュク埠頭』
幕間劇 サトル3
『風が吹くとき』
 
 物語の基本となる設定は、遺伝子の混濁の中で、人類がこれまでに築き上げてきた種としてのアイデンティティを喪失し、新種の生物として再生するというもので、その過程で発生する各種のエピソードとしてこの六つの物語は存在する。それ自体が短編として高い完成度を持つ個々のエピソードは、八年もの時間をかけて間歇的に発表されたものであるにもかかわらず、作品のテーマは些かもぶれることなく、第一話からエンディングまでをしっかりと貫いている。
 五編のエピソードで、人類の社会がゆっくりと軋みをあげて崩れていく姿を、趣向を凝らしたアングルからの物語として観ることになる。そして、その後に迎える最終話の解放感は、あの『生命の樹』のラストにも近いものだ。こういう物語を連載できてしまう、作者の実力にはまあ、今更ながらなのだがあらためて感服させられてしまう。
 
 近年の作品では、さすがにお年を召されたかペンタッチがあっさりとしたものも多かったが、本作では往年の傑作群にひけを取らない作者の画の魅力が復活し、ことにカラーページの色調は特筆物だ。
 
 とりあえず、諸星ファンならば買っても間違いなしの作品。★3つ半。
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2014年07月17日

中春こまわり君

 少年誌における山上たつひこの代表作『がきデカ』の続編。中年男となったこまわり君と、その旧友たちの現在。

 70年代から80年代にかけての有名漫画の続編が、近年、急速に増えている。
 しかし、それらの作品の大半で果たされている主人公の世代交代が、この作品にはない。こまわり君は、金冠生生電気営業部に勤務する会社員として、今も尚、この続編漫画の現役の主人公である。
 しかし、その彼にしても小学生時代のパワーと暴走をそのままに維持しているわけではない。
 アフリカ象に変身しても一暴れで息があがってしまうその姿は、超人と言うかとりあえず常人ではなかった彼さえも、時の流れに抗うことはできなかったのだな、と、うたたの感慨を同じ中年の身となったかっての読者に抱かせてくれる。
 
 この共感が、この続編には常にある。
 職場では上司の理不尽に悩み、子どもの教育をめぐって妻と対立し、旧友ジュンちゃんの無軌道な生活を気にかけながらも、“他人”が踏み込んでも良い領域の見定めにためらうこまわり君の姿は、私たちの日常からそうかけ離れることのない、一人の「常識人」のものである。まさか、こまわり君を常識人と呼ぶ日が来るとは思わなかった、というのは偽らざるところだが、しかし「常識」を身につけた彼の姿には、年齢を重ねることを引き受けたものの存在感がある。
 そして少年の日を、栄光ではなく他者に語るに気後れする過去として認識し、しかし、尚、同じ時間を過ごしたものとの貴重な記憶としても共有する節度は、いや、これは既に常識人という以上の大人のものだろう。少なくとも、俺も若い頃はよお、などと洒落にもならないワルサ自慢をする手合いや、アンチエイジングなどという浮薄な言葉に踊らされる種類の人間が持ち得ない、成熟した判断が伺える。

 この漫画は大人の読み物だ。
 もちろん、ギャグ漫画としてのボルテージの高さと切れ味は健在で、近年、ここまで笑いをこらえることに苦労させられた作品はあまり記憶に無いのだが、その上で基層にあるものは、少年時代にこの作品に触れた世代が、30年の歳月を経た現在を生きる感性に沿っている。
 そういう作品に遭うことができたのは、多分、運が良かったということなのだろう、と思ったりするのである。★4つ。
posted by Sou at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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