2015年06月23日

延長戦に入りました

 直木賞作家である著者が、まだライターであった時代に書いたスポーツエッセイ。
 
 スポーツを扱ったエッセイというのは、どうも堅苦しいものが多いように思う。
 才能を補う超人的な努力や、事故による障害を克服する不屈の意志、そして本人を支える家族の愛、といった、そりゃまあたしかに読めば感動はするのだけれど、なんというか大人向けの道徳教科書というか、勇気をありがとう、というか、うーん、文句があるわけじゃないけれど感動以外は許されない雰囲気みたいなものをまとっているように感じてしまうのは、私の性根が曲がっているからだろうか?
 たしかにそうなのかもしれない。しかし、そういうところとは別に、例えばオリンピックのボブスレーに熱狂する観衆の歓声と興奮のなかで、ふいと脳裏にこんな下らない疑問を浮かび上がらせてしまうことはないだろうか?
 
 ボブスレーの前から2番めの選手って、何のために乗っているんだろう?
 
 しかし、良識ある大人はそんな疑問を口にすることはない。否、そんな疑問を抱いた自分に深く慙愧の念をいだいて、至らぬ妄念に惑わされたことを償うかのごとく、一心不乱に選手に声援を送ろうとするはずだ。……はずなのだが、ものごとには何につけ例外というものはあり、それがすなはちこのエッセイなのだ。
 
 レスリングのタイツはなぜ乳首をみせるのか? ボブスレーの前から2番めの選手は何をする人なのか? 著者の無意味に鋭い視線は、本質とは全く無関係な部分を縦横無尽に斬りまくる。ただし、著者が本当に怖いもの無しの素人なのか、といえばそういうわけでもなく、スポーツ全体を広く愛し、自身が楽しむことも知っている人間であることは、本書を読んだだけでもおおよその見当はつく。その上で尚、でもあれって妙だよな、という素朴な思いを口にしなくては気がすまない性格に、覚えるのは共感であるか反感であるかは読者次第。
 
 したがって本書はそこに共感を覚える自信のある人にのみお薦めの一冊なのである。★2つ半。

2015年06月17日

バチカン・エクソシスト

 先々代の法王、ヨハネス・パウロ2世は、その生涯で公表されている範囲内でも3回の悪魔祓いを行っており、また有名な映画『エクソシスト』には、教皇庁公認で2名の聖職者が出演し、わけても1名は作品のテクニカル・アドバイザーさえ務めている。
 幾つかの意外な事実の提示を含め、エクソシストの歴史と変遷、および今日の社会における意味について考察する材料を与えてくれる一冊。
 
 著者のトレイシー・ウィルキンソンは、ロサンゼルス・タイムズのイタリア支局長を務めるジャーナリスト。ユーゴ紛争関連のルポに実績を持つ人物だという。
 300ページ弱のページ数なので、主題の歴史についての記述はごく簡潔なものであり、突っ込んで考えるには幾つかの参考書も必要になりそうだ。しかし、本書において最も読み応えがあったのは、エクソシストの施術者と被術者、そしてその周囲の人々に対する冷静なインタビューだ。
 それは、例えばエクソシストの必要性を強く主張する高位聖職者、科学的思考法を身につけた職業にありながら悪魔祓いを受け続ける女性医師、限定的ながら施術の有効性を認める精神科医、そして最も興味深いのは、悪魔祓いに疑問を覚え、被術者の精神疾患を疑いながらその求める声に応じて、彼らの相談をうけ続ける一神父の姿である。ここにおいて、エクソシストの今日的意味は、オカルティズムの範疇に収まるものではないことが、明示される。そして、イタリアにおける悪魔祓いの事例が、他国に比して飛びぬけて多い理由と推定される独特の社会的風土についても言及がある。
 
 悪魔憑きの科学的検証については、第8章「懐疑主義者と精神科医」において明確に述べられるが、それは結論というよりは、良くも悪くもエクソシストを必要とする社会的状況について、認識をより深めるものとして有効と言えそうだ。
 
 宗教の持っている社会的機能について考えてみることの出来る一冊★2つ半。

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