2016年08月18日

前夜の航跡

 第22回日本ファンタジーノベル大賞受賞作に、「哭く戦艦」の一話を加えたもの。
 「入神の技」を持つ若き仏像彫刻師・笠置亮佑が、太平洋戦争前夜の帝国海軍に続発した「怪異」に関わる、玄妙かつ不可思議なエピソードの数々。
 
 全5話
「左手の霊示」
「霊猫」
「冬薔薇」
「海の女天」
「哭く戦艦」
 
 狭義の「ファンタジー」に分類される作品には、あまり食指を動かされることがない私なのだが、戦前の海難事故といういささか殺風景な史実を、ファンタジーの題材としてどのように料理し、ストーリーに取り込んでいるのか、というところに関心を覚えて購入してしまった一冊なのである。
 さて、その出来は、と言うと……実はいささか微妙なのである。
 
 作者の文章は、いかにも丹念に紡ぎ上げられたもので、印象に残る華麗な文章はみあたらないものの、危なげの無い安定感を備えている。また、帝国海軍の心霊特捜機関「丁種特務班」に所属する、芹澤大尉などの登場人物にも、魅力と個性は感じられる。
 しかし、残念なことに、それだけで次の頁をめくる手が止まらなくなる、というほどの強力なものではない。そして、これは私が狭義のファンタジーよりも、ホラー、怪談に嗜好の偏る読み手であるからなのだろうが、たとえばあまりに古典的なジェントルゴーストストーリーである「冬薔薇」などは、その物語そのものがどうにもこうにも大人しすぎるという印象が否めないのだ。好みの問題と言えばそれまでなのだが、もう少しヒネリが加わっていればな、というのが率直な感想なのである。
 
 収録作の中では、やはり支倉大佐と芹澤大尉のコンビが登場する「左手の霊示」と「哭く戦艦」が楽しく読める。殊に前者の冒頭、導入部の文章は丁寧で味わい深い。また、海難事故の現場を詳細に、しかし男性的に描写した「霊猫」「海の女天」は、ノンフィクションに近い迫力の感じられるところでもあった。
 
 ちなみに、影山徹の表紙も素晴らしいが、脳裏に浮かんだ登場人物は、森川久美風であったりした。私にはそういう印象が残った作品である。★2つ。
posted by Sou at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書:SF・冒険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月17日

バベル島

 若竹七海による、多様なスタイルのホラーを一冊に集めた短編集。
 
 全11編
『のぞき梅』
『影』
『樹の海』
『白い顔』
『人柱』
『上下する地獄』
『ステイ』
『回来』
『追いかけっこ』
『招き猫対密室』
『バベル島』

 本書に収録された諸編は、1993年から2000年までの八年間に各誌で発表された作品で、それぞれのスタイルは極めてバラエティに富んでいる。これは、作者の世界にどっぷりと浸りたい読み手には、やや深度の不足を感じさせてしまうかもしれないが、私のように一見に近い読み手にとっては、その多様なフィールドを確認できる最適な一冊となっていた。
 その中でも印象に残ったものは、以下の4編。 
 半世紀前の殺人に由来する、旧家の因縁とタブーを描いた『のぞき梅』
 評判の良くない隣人宅に見える奇妙な人影の謎を、実話怪談風に綴る『影』
 ユーモラスな語り口からは想像もつかない結末を迎えるサイコホラーの『ステイ』
 そして、なにやら橘外男か香山滋あたりによる戦前の海外奇譚小説の趣がある『バベル島』。
 
 シリーズ作品のキャラクター登場もあるので、ファンにとっては楽しめそうであるし、描写に粘着性のない、しかしキレの利いたタイプのホラーを好む人にもお薦め。★2つ。
posted by Sou at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書:怪談・ホラー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月16日

トゥルー・グリッド

 J・ウェインの『勇気ある追跡』と、同じ原作による2010年度アカデミー賞10部門ノミネート作品。

 ストーリーは、娯楽作品の王道たる仇討ち。
 父親の仇のガンマンを、追うは14歳の少女、助太刀役は腕利きのガンマン。
 数々の困難を乗り越えて、本懐を遂げたあかつきに、二人の間には淡い感情が芽生える……という展開にならないのは、実はその助太刀役は、腕利きではあるものの還暦に近いかと見える保安官であり、少女と並んでは恋人どころか祖父と孫娘にしか見えない年齢差があるからだ。
 したがって、この物語にはロマンスはなく、それに代わって描かれるのは男たちの父性的な愛情、そして、老境にいりながら尚、少年のような負けん気を持つ老保安官に与えられる、少女からの母性的愛情だったりするわけである。その描写は、通り一遍のロマンスよりも、よほどに優しく微笑ましい。
 
 そして、恋愛の要素を排したとはいえ、この作品はお子様向けになっているわけではない。
 たしかに、コミカルな件はあるものの、子供に本来は見せるべきではないはずの縛り首のシーンなどもしっかりあって、現実の西部を過剰に無菌化しない節度を維持している。
 また、筋立てそのものはオーソドックスで、敵味方の色分けもはっきりとしている反面、敵役の人物も特別に悪逆非道なキャラクターではなく、法を犯すのも生活のため、と諦めを半ばに抱いている様子がある。その一方、助太刀役の二人はともに元南軍兵士であったことに誇りを抱き、しかもコグバーンは、歴史的には虐殺者として名高い人物の肩を持つなど、型どおりの正義漢でも聡明な人物でもなく、むしろ固陋な人物であることを見せるなど、キャラクターに与えられた陰影も、それなりの複雑さを備えている。
 
 とは言え、大衆的な娯楽作品としてのセオリーは外していない。
 素直に少女の健気さに感心し、老ガンマンの、ここぞというところでの活躍に拍手をすることができる。惜しむらくは、あまりに真っ当に出来が良くて、感想を書いても褒めるところしかないのが面白くない。やはり、あちらこちらに無理や破綻が見えるB級作品の方が、私には感情移入しやすいようだ。
 
 大人から老人までが楽しむことの出来そうな、良質の西部劇。★3つ。

2016年08月15日

怪談のテープ起こし

 本書は、本来は別個のストーリーとして発表した短編6作を、出版に至るまでに編集部で起きた(とする)奇怪な事件を「幕間」としてはさみ、各編のメタにあたるひとつの物語を構築し、浮かび上がるものを描いている、やや特異なスタイルの“短編集”。

序章
「死人のテープ起こし」
「留守番の夜」
幕間(一)
「集まった四人」
「屍と寝るな」
幕間(二)
「黄雨女」
「すれちがうもの」
終章
 
 怪談には二種類ある。
 怪異の原因がその結果に結びつき、物語の全貌が鮮明に見渡せるものと、怪異と結果の因果関係が不明であり、ときによってはその詳細がわからないものだ。前者は、おそらくは仏教説話などに原型がありそうな、不徳や不信心が招く応報的な惨事。後者は、これは中国の志怪書の類だろうか。ただ理不尽に遭遇してしまう災禍。
 
 三津田信三の怪談は、といえばこれは後者に分類されるように思う。因果関係はシンプルに直結しておらず、ストーリーをジグソ−パズルに例えるならば、そのあちらこちらには欠けたピースが存在する。
 しかし、そのピースの周辺は、欠落部に暗澹とした予測のみしか許さない、巧妙に設えられた、禍々しさを備えているのだ。
 
 本書の諸編もそういったスタイルで、怪異は常に不鮮明であり、ときには「偶然」という解釈さえ成り立たなくはない。しかし、そのような「偶然」を肯定しえない理性は、それゆえに「ゆるぎ」を覚えさせられる。
 以下、簡単に6編の感想。

 「死人のテープ起こし」は、自殺者が残したテープを聞く、という最悪の企画を実行する傲慢なライターと作者とのやりとりから生まれた、実話怪談の趣の強い一編。生活感の希薄なキャラクターが多い三津田作品にあって、本編で描かれる人物は、やや例外的なべたついたリアリティがある。

 「留守番の夜」は、一転して英国の怪奇小説の翻案めいている。
 桁外れの資産家宅で、若い女性が過ごす恐怖の一夜。設定自体はオーソドックスながら、怪異とそれに遭遇するまでの出来事は、どこか異世界めいた、我々の理とのズレを含んだもの。とはいえ、ラストはしっかりと怪談なのだが。
 
 「集まった四人」は、顔を知らぬもの同士が参加する登山の体験談、という、これも日本よりも海外の小説でありそうな設定。ただし、彼らを待つのは、我々が習俗の中に知り、忌避を心がけるものであったようだ。

 「屍と寝るな」は薄気味の悪さでは随一。
 作者の同窓会風景から幕を上げる実話怪談風の導入部だが、しかし、中国の古い怪談集にありそうな、朦朧とした灰色の記憶の中で語られる、人ならぬものとの接触による悪夢の物語。入れ子式に語られる、不吉で陰々としたエピソードの数々といい、本書中ではもっともストレートに怪談らしい一編。
 
 「黄雨女」は、前述の三津田怪談のスタイルの典型。
 黄雨女という言葉のフックが機能して引っ張られるストーリーだが、あちらこちらで齟齬が生まれ、また、収まりのつかない部分が残るところが、否応なく暗い想像を招く。
 
 「すれちがうもの」は、日常の中から生まれる現代的・都会的な一編。
 若い女性を主人公にした、都市伝説めいたモチーフ。本書の中では意図的な不整合は削られ例によってピースの欠落はあるものの、ややあっさりな展開。もう少し濃いところを期待したかったな、とも。
 
 カラーの異なる作品が一冊になっているので、誰が手にとっても好みの一編はありそうだ。ただ反対に、これはどうも、というのも混ざってしまいそうではあるけれども(笑)
 とはいえ、現代日本を代表する怪談作家の新作である。無論、買いで★3つ。

posted by Sou at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書:怪談・ホラー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月13日

二日酔い広場

 都筑道夫によるディティクティブ・ストーリー。
 本書は私が大学生であった時代に購入したものだ。初版第一刷は昭和59年12月10日、再読は多分、10年ぶりくらいになるだろうか。
 
全7話
『風に揺れるぶらんこ』
『鳴らない風鈴』
『巌窟王と馬の脚』
『ハングオーバー・スクエア』
『濡れた蜘蛛の巣』
『落葉の杯』
『まだ日が高すぎる』

 主人公の久米五郎は50歳を目前とした、中年の私立探偵である。
 妻と娘を交通事故で失い、刑事の職を辞して私立探偵を開業している。荒事に勇躍飛び込むタフガイというわけではないし、危険な香りを漂わせる美女とからむわけでもない。東京の下町を主な仕事場所として、日本の私立探偵が手がけそうな、ごくごく現実的な調査業務に携わる「生業としての探偵」である。
 
 こういう人物が遭遇する事件であるから、それは依頼者の生活に根ざしたものが多い。
 親子、兄弟、夫婦、その関係の齟齬が、どこかでかたちを持ったとき「調査対象」として主人公の元に持ち込まれる。……と説明すると、長い年月の間に凝固した互いの憎悪が云々、という種類の家庭内対立を想像されてしまいそうだが、さにあらず。
 この作品に登場する問題の原因は、より小さな思惑のすれ違いにある。
 それは配慮や、二者間の異なる部分でのコンプレックスといったものなのだが、それが単純に相手への憎悪へと変化することなく、様々なものへと屈折する。必ずしも詳らかにならず、むしろ理解できない部分が残るそれは、しかし、それでいながら、どこかしら首肯しうる気持ちの筋道というものが見えるようでもあるのだ。
 この煮え切らなさは、ミステリーとしては満足の行かないものと感じられてしまうかもしれない。しかし、人の世には「そういうことはあるだろう」と、理を越えた部分で肯わせる小説としての味があるように思われるのだ。
 
 尚、驚くべきことに、この小説にはヒロインが存在しない。
 いや正確には桑野未散という、若い女性が主人公の調査を手助けするのだが、彼女にとっての主人公は、あくまで人生の先輩であり、また、主人公にとっても、彼女は事故死した娘の面影を重ねる相手なのである。最初に本書を読んだ際は、私は作中の最小年齢の登場人物に近く、この辺りの感覚はよくわからなかったが、主人公の年齢を過ぎた現在は、探偵を自分と同い年とした作者の気持ちが、なんとはなく理解できるような気にもなっている。★3つ。

灯台守の恋

 このBlogで語るにはらしくないタイトルなのだが、原題は『L’EQUIPIER』で、「チーム・パートナー」といった意味になるらしい。
 
 1963年のフランス、ブルターニュ。世界の果てとよばれる荒涼とした土地、ウエサン島に新人の灯台守、アントワーヌがやってくる。
 アルジェリア戦役での負傷により、片手が自由にならない経験不足の彼を、ベテランの灯台守イヴォンは未熟な厄介者と看做して追い出そうとするものの、アントワーヌの生真面目な仕事ぶりと、笑顔を絶やすことの無い人柄に、少しづつ心を開き始める。
 やがて、イヴォンの家族たちも親しみをもって彼と接しはじめる中で、イヴォンの妻、マベとアントワーヌの間には、互いを意識する感情が芽生えてくる。
 
 アントワーヌを演じたグレゴリ・デランジェールは、長身で金髪、優しい笑顔は役柄を大いに説得力のあるものとしているし、マベ役のサンドリーヌ・ボネールは、その表情のひとつひとつが非常に魅力的な女優だ。
 それとわかる映像効果を用いなくても、島の風景はフランス映画らしい落ち着いた色調を備えて美しく、その中で積み重ねられていく日常のエピソードは、若いとはいえない年齢の人々の心のゆらぎをよく映し出している。
 しかし、これがシンプルな中年向けロマンス映画とは決定的に異なっているのは、やはりイヴァン役のフィリップ・トレトンの人物像の深みゆえだろう。観ようによっては道化にも邪魔者にもなりかねないポジションながら、イヴァンの行動は実に重く、そしてこの映画の内容を決定する温かさに満ちている。
 原題『L’EQUIPIER』=「チーム・パートナー」は、アントワーヌとイヴォンという男たちの友情を意味するだけではなく、イヴォンとマベの夫婦という間柄についても重ね合わせたものであろうし、また邦題の「灯台守の恋」も、二人の男それぞれの心のかたちを指したものなのだろう。これら重層的な人間関係が、そのいずれも遊離することなく描きこまれた104分の時間は、実に稠密なものと感じられた。
 
 舞台となったブルターニュという土地が、フランス国内でも独自の文化を持ち、分離独立運動が現在もなお存続する土地であるという事実や、アントワーヌがアルジェリアで所属していたのは、住民の弾圧をもっとも過酷に行ったとされる空挺部隊であったという事実など、フランスの抱えた歴史と現実を知れば、さらに登場人物たちの表情の陰ひとつにも、より複雑なものを読み取れるように思う。それだけの奥行きをこの映画は備えていそうだ。
 
 フランス映画らしいフランス映画の傑作★3つ半。

2016年08月09日

翼に日の丸 外伝 極光篇

 仮想戦記というジャンルの嚆矢でありながら、未完となっていた『ラバウル烈風空戦録』を改題の上一部加筆を行って完結させたものの、外伝にあたる短編集。
 
全11編。
「加州下駄ばき訪問記」
「夢幻滑走路」
「うしろの撃墜王」
「龍虎戦線」
「最後の零戦」
「大艇漂流記」
「暁のドッグファイト」
「オーロラが消えた夜」
「鉄鯱狩り」
「独眼流皆伝」
「ベアキャット・ライダー」

 所謂仮想戦記というジャンルにおいては、国家レベルの視点から歴史の改変を描いた作品が一般的で、いきおいその内容も、質の悪いものでは秘密兵器大活躍、上質のものでも地道な国家政策のシミュレートであったりで、小説としてはかなり読者を限定するものとなっている。
 本書も読者を選ぶと言うことでは他と大差はないのだが、国家や個々の戦場における上層部の決定については、その殆どの場面において、主人公達一般兵士から見た、彼らが現実に知りえた範囲の記述にとどめられている。
 したがって、作中の登場人物は、無知に基づく大言壮語であったり、敵への蔑視であったりを案外に隠そうともしておらず、良くも悪くも舞台となった時代の一般的な軍人の水準から見た戦記物となっており、こういった作品に登場する、時代を超越した合理性やヒューマニティを備えた「良心的人物」にはなっていない。それゆえにこの作品は、仮想世界における「戦記物」というリアリティを獲得できている。

 軍事的考証については、私程度の素人には、まず気にかかることはないが、パラレルワールドという設定ゆえに、想像力を自由に伸ばして楽しんだ方がよさそうに思える。また、個々の作品については、生死を扱う物語ではあっても、過剰にドラマティックな筋立てとはなっておらず、飄々とした中に独特の哀感をたたえた、実話風の味わいがある。

 松本零士の戦場マンガを思い出す話などもあり。本シリーズを読んでいなくても、特に大きな不具合はなく読みすすめていくことの出来る短編集。★2つ。
posted by Sou at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書:SF・冒険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月08日

百物語怪談会

 明治期の怪談会の実録集。語り手は泉鏡花、柳田國男、鏑木清方、小山内薫、と当時の第一級の文人墨客から、花柳界の名花、そして今日ではその事績の伝わらない人物にいたるまでと幅広く、その視点も多様である。

 正直なところ、読みすすめる間、一貫して怪談としてのテンションを維持し続けてくれる話ばかりではなかった。今日の我々には聞き飽きたような逸話もあるし、語り手の技量の問題もあったようだ。しかし、玉石取り混ぜた中にそれを語る者の表情が浮かんでくるような、イマジネーションを喚起してくれる活きた話し言葉の文章は、また他では得がたい独特のリアリティを備えたものともなっているようだ。
 本職の鏡花による、簡潔に完成された切れ味のいい恐怖。「上州高崎の藤守座」と場所まで挙げた上での怪談を、駅名でも告げるように淡々と並べてみせる芸能史家の語り。美術評論家によるパリ留学時の怪異譚はゴシックホラーの趣があり、陶芸家沼田一雅の妻による体験談は、上品な婦人の語り口が気味の悪さを殊更のものとしている。
 こういった、バラエティに富んだエピソードが、素の言葉によって印象深く語られるのは、今日そう体験することの出来ないものでもあり、本書の際立った個性ということになるのではなかろうか。

 また、百物語と言っても純粋に物語ばかりではなく、雑談に類するものも多く収録されており、明治時代の知識階層の怪談観などを知ることもできるのだが、中には驚くほどに古びていない視点もある。
しかし西洋の幽霊は非常に行儀が悪るい、多くが廊下に轟くような足音をさせる、棒で扉を叩いたり、梯子段をかけ下りたりする、多分肉食の故もあろう、どうも一般に乱暴です、──中略──日本の幽霊のように、提灯からぬけ出て仏壇にはい込むなんぞと謂う軽業は出来ない、人に凄味を売る商買としては五割も七割も損です
          百物語怪談会 ちくま文庫・2007年・P255〜256より引用

 きよし、とのみある不詳の人物によるこの指摘などは、ほとんどそのまま今日のハリウッド製ホラーとJホラーの比較に通用してしまうところであり、語り手の慧眼に感服すると共に、その歳月への耐久性を考えれば、「恐怖」というものの民族的文化のコアからの距離などについても考えさせられるところがある。

 雑談部分については、他にも柳田國男が自著の評価についての軽い反駁をみせていたり、友人による泉鏡花の日常エピソード開陳など、野次馬的好奇心で楽しめるところもありで、恐怖というよりはユーモアを感じさせてくれる、明治末期のある種ノスタルジックな催し物のひとつを実見する楽しみを味わうことのできるものだった。

 気分としては蚊帳を吊った部屋で読んでみたい一冊。★4つ。

2016年08月07日

ピストルオペラ

 殺し屋をまとめる組織「ギルド」に内紛が起きる。
 ナンバー1の殺し屋「百眼」の手によって次々と消されていく殺し屋たち。ナンバー3のポジションにある「野良猫」こと皆月美有樹も、その標的とされるが……というのが導入部だが、公開時に観てそのストーリーはよくわからなかった。で、久方ぶりにあらためて観てもやはりわからない。さすがは鈴木清順である。こういうマイペースなスタイルを維持できるのは、やはりその「清順美学」に魅了され、それに貫かれた新作を渇望するファンの支持があればこそなのだろう。
 私は正直なところ、この手のストーリーを把握できない作品を楽しむ能力は持ち合わせていないのだが、それでもかの『ツィゴイネルワイゼン』には圧倒されたし、この作品もまた、なんだかわからんが凄いし面白いぞ、という感想を抱かされた映画だった。
 
 独特の色彩感覚、構図、イメージを先行させたカットのつなぎ、弛緩を意識するその瞬間に入ってくる音楽、そしてその動きをどのタイミングで切り取っても、完璧な絵となっていそうな山口小夜子の超然とした美しさ、対峙する江角マキコの均整の取れた長身は、黒い和服にブーツという個性的な衣装をまとって、肉体そのものの持つ魅力を感じさせてくれる。物語の筋とか、そういうことはとりあえず措いておいても構わない映画というのがたしかに存在するという、実感を得ることが出来る作品だと思う。
 ちなみに、脚本は伊藤和典、特撮は樋口真嗣と、かなり意外な起用だが、彼らのカラーらしきものは特に感じられない。聖書の引用ではないかと思われるセリフの存在が、かろうじてそれらしいところだろうか。
 
 それにしても、およそ実用性の片鱗も無いスカートを身に着けながら、優雅に振舞うことのできる山口小夜子の挙措は必見である。ああいう動きの出来る女優というのは、私の狭い見聞の中には、他に思い当たる名前がない。
 
 感性でその世界に浸るべき映画。★3つ。

2016年08月06日

戦争指揮官リンカーン―アメリカ大統領の戦争

 南北戦争を「アメリカの戦争」の原型を確立したものとして、各種の事実を指摘し、その経過と、戦争指導者としての大統領、リンカーンの姿にスポットをあてた一冊。
 
 ゲティスバーグなどの有名な戦闘や、そこで取られた戦術について語ったものはこれまでにも多くあったものの、本書の特徴はまず、南北戦争において初めて多用された近代的通信システムである「モールス電信」を大きく取り上げているところだろう。
 戦争の大原則である「戦力の集中」には、分散された部隊相互の連絡機能の向上が必須である。小部隊同士の小競り合いから主力による決戦へと拡大していったゲティスバーグの戦いにおいて、主戦場から離れていた主力部隊を、電信による迅速な連絡によって戦闘に参加させることに成功した勝利者、北軍側の実例を詳述して、この戦争の近代戦としての様相を明確にしている。
 さらに、電信において交わされたリンカーンと将軍たちとの文章を検討して、軍事的素人であったリンカーンが、四苦八苦しながら軍事的専門家をコントロールする、戦争指導体制の未完成な時代の「総司令官たる大統領」の姿が浮き彫りにされている。
 そして同時にその過程で見えてくるのは、私たちがイメージする「奴隷解放の父」とは少々異なる、軍事的な、あるいは政治的な勝利のために、必要な戦略を冷徹に計算し、命令した、したたかなリアリストとしてのリンカーンの横顔だ。
 
 著者の主張する、この戦争で生まれた様々なシステムやスタイルが、現代に引き継がれる「アメリカの戦争」の原型であるという指摘については、それなりに説得力を感じさせられるところもあるものの、同時に近代戦の普遍的な手段であり、必ずしもアメリカに固有のこととは考えにくい部分も少なくない。そのあたりのより踏み込んだ検討は、読者の意識に委ねられるところとなっているようだ。
 
 電信という技術から観た南北戦争史。★2つ。

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。