2016年08月05日

現代百物語 殺意

 岩井志麻子のシリーズ5冊目。

 何だか、「パイプの煙」みたいに長期シリーズとなりつつある一口実話怪談集だ。
 正直、今更に抜群に面白いというものでもないし、一刻も早く本を手放してしまいたくなるような、忌まわしい実話もない。しかも、最多頻度で登場するのは、過去にも繰り返し語られている、とある女性、というのもややマンネリ感のあるところ。
 したがって、絶賛、というのも難しい。
 ただ、現代の東京を舞台として、あからさまに殺伐ではなく、人と人の間に黒く滲みる悪意を描いた99の醜悪な寓話は、甘すぎる感傷を押し売りしてくるメディアや話題に付き合った後ならば、むしろ、リアリティの端正さを備えていると言えそうに思う。
 第9話「あるフリー編集者の依頼」や、第25話「401号室の女」、第55話「食べ続ける女」、第60話「嘘の三八」など、作家の想像のコアに存在するであろう事実には、ずっしりとした重さを感じさせられる。
 
 それにしても、年一冊のペースで出る、この「シマコのちょっと厭な話」は、一体何時まで続くのだろうか。こういう長期連載も時代なのだろうなあ、と。★2つ。
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2016年08月04日

山背郷

 仙台在住の直木賞作家・熊谷達也による東北を舞台とした短編集。

全9編
「潜りさま」
「旅マタギ」
「メリイ」
「モウレン船」
「御犬殿」
「オカミン」
「ひらた船(ひらたの字は舟に帶)」
「皆白」
「川崎船」

 いずれも、東北の風土と厳しい生活環境の中で、人と自然とのかかわりを飾り気の無い骨太な文章で描写した作品。
 そこで描かれる自然は、近年の安直なエコロジー賛美、地に足の着かない懐古趣味によって語られるものとは大きく異なり、人間に牙をむき、情け容赦なく生命を踏み潰す巨大な暴力としての横顔を直叙されている。そして、そこに生存の場を拓いてきた人々が、その暴君である「自然」との間に築き上げた共生関係が、重みのある物語の背景となっているようだ。

 特に印象に残ったものは以下の3編。
 洞爺丸の転覆という日本海難史上屈指の大災害をとりあげて、挫折の中から自身の道を取り戻す男の姿が描かれた「潜りさま」。
 「メリイ」は懐かしい少年の日のスケッチに、いくらかの哀感をそえられたジュブナイルの雰囲気のある短編。
 個人的なベストの「川崎船」は、漁場を獲得するために競い合う、海に生きる若者達の姿を描いた一種の青春物。良質のスポーツ小説のような爽やかな読後感で、私のようなインドア偏向人間にも楽しめた。

 雄渾な情感に満ちた作品集★2つ半。
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2016年07月22日

残穢 −住んではいけない部屋−

 原作はここ数年内の怪談小説中の個人的ベストである小野不由美作品。その映画化とあって期待と不安の半ばするところでの鑑賞となった。
 
 不安の大きなものは、この原作はあまり映像化に向いた作品とは思えないこと。
 なにしろ、導入部の「箒の音」を除いては怪異の様子をほとんど描かず、主人公の視点で集めた情報を組みたてていくことで、その輪郭を浮かび上がらせる、活字による表現を活かした物語なのだ。要は恐怖の「姿」は読み手の想像力に拠っているのである。
 「リング」にしろ「呪怨」にしろ、成功したホラー映画は、恐怖の対象をしっかりと視覚化している。なんのかのといって、それなしでは難しいジャンルなのだ。しかし、といって今更に90年代のJホラーへと後退して、髪を振り乱した女性を登場させてみたところで仕方が無い。2010年代にふさわしい新たな恐怖の演出が必要なのだ。
 
 この難題に対し、中村義洋監督は恐怖に触れた人々の、より詳細なディティール描写をもって回答とした。
 マンションの先住者である家電量販店の店員、隣人の夫婦、より古い時代の自殺者など、彼らのきわまった憔悴、明らかに心のバランスを崩してしまった表情は、彼らの接した体験の比類の無いおぞましさを、凡百のCGを用いても及ばぬほどに伝えるものとなっている。
 彼らを演じるのはいずれも著名な俳優ではないのだが、それゆえに観る側からの距離は小さく、その日常が壊れることのリアリティの重みは大きい。
 
 もっとも、本作にも露骨に怪異を視覚化したシーンはある。
 しかし、それはあまり精彩も必要も感じられるものではなく、正直なところ抑制した描写で創りあげた作品のトーンを乱してしまっているようにさえ見える。おそらく、このあたりは娯楽作品としての「わかりやすさ」を求められての挿入なのでは、などと邪推してしまうのだが、個人的には不要なシーンだった。
 正直、本作はもっと低予算で、CGなど使えず、ひたすら俳優の演技で見せる作品となっていれば、その方がより私の好みには合ったものとなっていたかもしれないとも思う。
 
 主演の竹内結子は今回は、頭は良いがおっとりとした女性作家という役作り。精神力の強さが前面に出るタイプでもないのだが、容易に恐怖に飲み込まれないところは、ジャンルのヒロインとしては異色だろう。
 夫役の滝藤賢一はもしかして綾辻行人の私物をそのまま借りたのでは、と思うほどに完璧なファッションと外見。佐々木蔵之介が演じる作家・平岡芳明の、徹底した不謹慎ぶりは、本当のモデルとは少々異なるのではないか、という気がするが、ある意味もっとも「怖い人間」としてキャラ立ちしていた。
 
 
 近年低調な邦画ホラーとしては、相当の傑作というのが個人的な評価。恐怖を観客に伝える演出の、新しくもなぜか手堅ささえ感じられる完成度に拍手。★3つ半。
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2016年07月19日

幽 Vol.25 特集:人形/ヒトカタ

 怪談の題材としては王道か、今号の特集は「人形/ヒトカタ」
 
 冒頭のフォトストーリー「そこは、わたしの人形の」は皆川博子と人形作家・中川多理のコラボレーション。
 現役幻想文学者中の第一人者による文章は、その文字数によらない世界の広がりを感じさせてもらえるもの。
 また、中川の手になる人形は、いずれも憂愁を刷いた表情が印象的。中川自身が本書中のインタビューで語る、創作の経緯も興味深い。
 
 同じく特集枠のインタビューには、山岸凉子が登場。
 人形がらみの怪談話がメインだが、こちらは実話とは言え、あまり印象に残っていない作品なのでやや物足りず。個人的にはこの作者の怪談と言えば、オールタイムベスト3には確実に入る「汐の声」あたりの創作秘話があれば聞いてみたかったところ。
 
 綾辻行人の「球体関節人形の魔力」と、京極夏彦による「人形は、なぜ怖いのか」は、両作家の視点と文化的な知識の獲得という、一種ペダンティックな文章で、もう少しエッセイ寄りの文芸的な文章でも良かったかと。そういう意味では、よりアカデミックな側からの明快なアプローチである、大道晴香のオシラサマ信仰についての論考などの方が、素直に楽しめたような気がする。
 
 連載小説のなかでは、京極夏彦の「虚談 ベンチ」が、スペクトルマンのプラモデルの話題などというリアル昭和40年代の世相を描写しつつも、灰色にくすんだ記憶の隘路に踏み込む物語。いや、この完成度でこういう同世代ネタを書いてしまっていいのか、とは思うものの、ネットの普及以降は、時代の流行などは読み手が検索してみればわかるわけで、そういう意味では読み継がれる小説の中での小道具の扱いというのも、変わってきているのかも知れない。
 
 同じく連載小説中では、恒川光太郎の「死神と旅する女」が良い。
 怪談というよりは常のように幻想小説であり、一部現代史の史実をなぞった展開は、作品の空気になじまないところもあったのだが、この作者の作品ならではのかすかな悲愁と吹き抜ける読後感は、本作にも健在。
 
 近藤史恵の「震える教室 いざなう手」は、偶然だろうが山岸凉子作品に登場しそうなバレリーナを目指す少女たちの遭遇する怪異。かなりストレートな怪談にして、しっかりと怖い。ただ、あまり怪談ジャンキーではない若い女性向きなのか、本誌の連載陣にあってはやや薄味な印象も残る。もう一二歩、陰惨に踏み込んでくれても、とも。
 
 朱野帰子の「藁人形」
 これはもう、女流怪談の王道。こういう作品は男性作家が描いても、どうしても嘘くさくなってしまう、女性の心の暗部をのぞきこむ一話。
 
 
 怪談実話では、藤野可織の「私は幽霊を見ない」が“おひっこし”新連載。
 “おひっこし”というのは休刊になったMeiからの、ということだろうか。一人称で語る作者の実体験なので肌に迫るものがある……かというとそうでもなく、相当にゆるい。というか、笑いを取りに来ている。
 ただまあ、そのゆるい日常こそが、対比となって……ということが今後あるのかどうか、とりあえず期待。
 
 
 ところで、本書で知ったのだが「ぼぎわんが、来る」の澤村伊智の新作「ずうのめ人形」が7月28日発売とのこと。26日には三津田信三の「怪談のテープ起こし」という、これもタイトルだけで購入決定作品が出るわけで、楽しみな月末になりそうだ。

 尚、今号には小野不由美の「営繕かるかや」が載っていなかったので、少し気落ちした結果評価の★は2つ半くらいとなった。
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2016年06月17日

ファンハウス

 ハロウィンの夜、収監中の連続殺人犯5名が大挙脱走する。
 彼らが潜り込んだのは、自身の犯行をテーマとしてオープンしたファンハウスで……。
 
 という、まあありそうな設定ながら、シリアルキラーを5名+1名も集めてみました、というところがアメコミ原作モノ映画みたいな、なんとなくお得感な一作。
 正直6名も集まると全員の個性がくっきり、というわけにもいかず、加えて犠牲者の若者7名と女性保安官に保安官補、と91分の尺にしては登場人物も多目なので、やや駆け足な感は否めない。
 いっそ、これだけ殺人者と被害者を出すならば、山田風太郎よろしくサイコキラーとおバカ若者が、一人一人相討ちになって散っていくような趣向があれば面白かったと思うのだが、いや、もしかしたら、すでにどこかでそんな作品も撮られていそうな気もするが。
 
 それはともかく。
 たしかにシリアルキラーの個性は、一人で看板を張るにはやや弱いもののそれなりに立てられているし、有能な女性保安官とトンマな保安官補、清純派とビッチの二人の女性、リア充、映画オタク、と、ひととおりの定番キャラも揃えてみせているあたりは、きちんとジャンルの基本を押さえて手際が良い。
 また、ゴアなシーンはCGではなく特殊メイクに拠っているようだが、映像は田舎ホラーにありがちな血生臭さ漂うものなので、そういったややチープな手法がよくなじんでもいる。こういった、予算の限界がみえそうな箇所を画によって巧みに説得力を持たせているシークエンスは少なくなく、フィルモグラフィーははっきりとしないのだが、かなりジャンルを知悉し、愛着を抱いている監督なのではないか、という印象を持った。
 難を言うならば、出演者にあまり見目麗しいタイプが少なく、スタイリッシュな美しい画を求める種類のホラーマニアには口に合わないかも知れない。
 同じ邦題の、トビー・フーパーによる『ファンハウス』とは、ストーリーは全く似ていないが、血汁の溜まりから、ゴポリと笑いがはぜるような厭な感覚には、共通するものがありそうに思う。
 
 低予算ながら頑張って娯楽作品の枠を守ったつくりは、個人的には好感を持った。★2つ。
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2016年05月15日

深い森の灯台

 邦題と表紙のイメージから、ホラーと言ってもダークファンタジー系であろうか、と想像していたのだが、案に相違してこれはかなりオーソドックスなモダンホラー。
深い森の中に立つ灯台で、それを建てた男が自殺した。死の直前の彼から謎のメッセージを受けた保安官代理主任のキンブルは、この土地ではるか昔から恐るべき出来事が続いていたことに気づく。さらに丘陵の周辺で次々に不穏な出来事が起こりはじめる。事故を起こし幻を見たキンブルの部下。夜が来ると攻撃的になる動物たち。そして森に正体不明の青い光が現れ、新たな惨劇が……。
                  本書裏表紙 内容紹介より

 キンブルが探り出す町の暗い過去、ことに19世紀の鉄道工事に関わる歴史や、そこに現れる「魔」の佇まいは、欧米のホラーにおける定番だ。また、意図的な破調や、難解なテーマ性などもないので、そういう意味では奇抜さというものは感じられなかった。
 とはいえ、定番であればこその読み手を退屈させない細かな工夫は当然あり、たとえば、舞台の多くを、ネコ科動物の保護施設というユニークなものとしたことで、複数の動物たちの不可解な振る舞いによって、「魔」の輪郭が浮かび上がってくるなどは巧妙なそれであろうし、クライマックスへ至るところでの「仕掛け」の意外性も低くはないと思う。
 オーソドックスであることと、この工夫とのバランスが良好な作品なのだ。
 
 ただし、登場人物の抱える苦悩に、あまり感情移入できそうなものが無かったことは事実。これが、いまひとつ作品に愛着の湧かなかった理由だろう。もっとも、作者は1982年生まれと私よりもはるかに若いわけで、そのあたりのズレはいたしかたないものではあるのだろうが。★2つ。
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2016年04月21日

鎌倉ふしぎ話

 鎌倉を舞台にした、東郷隆による奇譚集。
 
全9編
「小物細工の家」
「屋台の客」
「白雨」
「蓮ちゃんの神さま」
「オアシスの声」
「面かぶり」
「木箱」
「スコーネの鰻」
「蜜柑」

 舞台となる時代が戦前から現在、まさに進行中のものまでも含むとあって、いずれも主人公の一人称での語りで綴られたストーリーは、その顔ぶれとして戦時下の鎌倉を知る老人から、スナック勤務の若い中国人女性まで、実に多彩なものとなっている。百物語ではないが、彼らの集った「ふしぎ話」の宴の記録を手にした気分にさせられる短編集。
 こういった作品の場合、物語の印象は語り手の口調のそれらしさに大きく左右されるわけだが、これが実に絶妙。必ずしも流麗ということではなく、訥々として時に躓くあたりまでもが、いかにも語り手のキャラクターをうかがわせて、さらに、その言葉で描かれる、それぞれの目に映った鎌倉の風景が、古都ならではの多様な魅力をみせてくれている。
 
 「小物細工の家」はモダンホラーの雰囲気。怪しい者どもが幽き姿を覗かせるのは、「屋台の客」「蓮ちゃんの神さま」「面かぶり」の三作。ユーモラスな語り口が楽しい「スコーネの鰻」。「木箱」「蜜柑」は敗戦秘史。ある種の都市伝説にも似た、自動販売機にまつわる奇譚「オアシスの声」が個人的ベスト。
 
 全編が独立したものではあるが、できれば続けて読んでその世界に浸ってみた方が、より楽しめるように思う。雰囲気の近い作品として、都筑道夫の「東京夢幻絵図」をちょいと思い浮かべたりした。
 
 職人による手際の鮮やかさ。★3つ半。
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2016年04月20日

本所お化け坂 月白伊織

 魔の眷属を統べる「第六天魔王」の代理人として、破魔の剣・神咒信国を振るい、魔王の支配から脱して人の世に跳梁する、“モノカミ”を討ち捕らえる謎の浪人・月白伊織の活躍を描いた、朝松健による時代連作集。
 
 全3編
「蝿声」
「すみ姫さま」
「汚尸鬼」
 
 なんだかOVAみたいな設定だなあ、と思ったのだが、考えてみるとこれは『ドロロン閻魔くん』だ(笑) あれからお色気要素をさっぴいて菊池秀行の雰囲気を少々加えるとこういう感じかな、というところ。
 伝奇アクションなどと呼ばれるこのジャンルでは、一種完成されたフォーマットのひとつでもあると思うのだが、舞台を文化文政年間の江戸にとったところが作風にぴたりと合ったようで、現代物ではやや気にかかる説明的で生硬な独白や、大時代がかった呪文も、この世界では主人公とその相棒の超人性を印象付けるのに最適なものとなっている。
 また、漆黒の刀身を持つ名刀、敵役となる零落した神・モノカミの存在、第六天魔王の力を現世に引き出す「魔王陣」など、現代風な伝奇もののガジェットと日本古来の妖怪譚に西欧風オカルティズムの隠し味が加えられて、これはなかなかに楽しめる。
 正直なところ、設定紹介の色合いが強い第一話は、ややだれる展開だが、三話の中では最も長い第二話は、実にテンポよく、また、絵の世界に住むモノカミ・すみ姫さまとの戦いは、ちょっと藤田和日郎あたりの作品を髣髴とさせられる、幻妖性とスピードを感じることができた。
 
 PHP文庫の一冊であることと宮部みゆきの江戸物風の表紙から、どうもほのぼのとしたストーリーを想像していたのだが、中身はしっかりとした伝奇アクションであり、「江戸魔界行」とか「月白伊織・斬魔剣」とかいうタイトルにした方が、本来の読者が手に取る可能性は高かったのではないかと思う。私と同様の印象を抱いていた未読の方には、あらためてお薦めなのである。★2つ。
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2016年04月19日

上杉謙信の夢と野望

 上杉謙信という戦国大名について世間一般での評価は、同時代屈指の軍事的才能を持ちながら、人の利欲に疎く、名分にこだわって、ついに覇を打ち立てることなく病に斃れた悲運の武人、というところではないだろうか。
 
 しかし、そもそも「名分」にこだわる、ということは意味のないことなのか。
 本書では、「名分」の由来するもの──室町幕府という旧弊・形骸化したと見られていた統治機構が、実は諸大名に対し、一定の強制力を持つ支配のシステムとして、いまだ、高い機能を保持していたことを各種の事例から証明している。
 このシステムの再生を、謙信とその二人の共謀者が試みた経緯の痕跡を資料から拾い、その上で“義戦”として解釈される、一見、戦略性に乏しいと見られた謙信の征戦の背景に、意外にスケールの大きな戦略構想が存在したことを論じている。これは、ともすれば政治政略に蒙かったとされる従来の謙信像を、一部塗り替えるものでもあるだろう。もっとも、精兵を率い、圧倒的な軍才によって多くの戦捷を得ながら、その大半が成果に結びつかなかったというのも事実であり、この大名が、政治家としては同時代の北条氏康、武田信玄などに比較しては、やはり一歩譲る資質しか持っていなかった、という評価は覆し得ないところではあるが。

 著者がアカデミズムに属する人ではないためもあるだろうか、「戦略家としての上杉謙信」の再評価という主題のみならず、本書では「生涯不犯」などという、世に喧伝されるこの神将の伝説の数々にも独自の論考が加えられ、歴史愛好家の好奇心を満たしてくれる内容がある。全体を通じては謙信ファンの姿勢を感じられるものの、謙信が織田家の宿将を敗走させたと伝えられる「手取川の合戦」の過大評価を戒めるなど、信者的軽薄さは無い。
 
 謙信その人のこともだが、室町幕府の存在を見直すという、こういう視点の戦国歴史入門書は、ちょっと珍しいのではないか。一読の価値はありそうに思う。★2つ。

2016年04月18日

異端カタリ派と転生

 邦語のカタリ派関連書籍としては、岩波書店から出ている「異端カタリ派の研究―中世南フランスの歴史と信仰」が古典的名作としてあるわけだが、これは学術書でもあり、かつ、古書市場に常時流通しているわけでもないようだ。私のような、ただの歴史好きの一般人が読んで楽しむということならば、この「異端カタリ派と転生」が個人的な一推しとなる。
 
 カタリ派に大きな影響を与えたとされるグノーシス主義、およびキリスト教哲学を常に脅かし続けた二元論の代表的宗教としてのマニ教の説明に1章を割いて、地中海世界の思想的潮流からカタリ派成立への経緯を説明し、さらに、その思想にのっとって定義された宗教的生活、戒律の実際、国家間の争闘の場におけるカタリ派の存在とその消長についてなど、1冊でカタリ派の概略と歴史が理解できる入門書として内容を備えている。しかも著者自身が歴史学者ではなく文学者であるところから、難解な専門用語は登場せず、一般人でもとりつきやすいことは格別なのである。
 
 しかし、著者の想定以上に一般人としてもダメな読者である私が、最も関心を魅かれたのは、第7章、および終章である。
 ここではカタリ派が西欧の偽史、オカルティズムにおいて果たした役割について言及されているのだが、これがなんとも怪しげで楽しい(笑) 有名なアーサー王の「聖杯伝説」から、イエスの血脈の伝承、さらにカタリ派最後の拠点であった、モンセギュールの山塞跡に、ヒトラー率いるナチス・ドイツが並ならぬ拘りをみせていたという浮説などは、欧米の伝奇小説を読む上での基礎知識として欠かせない話題をフォローしていると言えそうだ。※1
 やはり、ナチスと異端とオカルトが出てこなくては、伝奇小説がヨーロッパを舞台にする意味はないのではないか(笑)
 
 とはいえ、この本の真価は、二元論というキリスト教世界における決定的な異端思想に焦点をあてたところにあるのだろう。ヨーロッパ世界の深層に思索を巡らせてみる知的意思をお持ちの方にはお薦め。そうではない、私と堕落をともにしたい方々にも、それはそれで充分に楽しめるのでお薦め。★3つ半。

※1 
無論、これらの伝承は、カタリ派がどのように語られ、どのように見られたのか、という文脈の中で語られているのであり、事実としての認定を受けているわけではない。

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