2016年01月17日

れんげ野原のまんなかで

 日常の謎系、しかもかなりほっこりなのは表紙からも一目瞭然。
 
 舞台は地方都市の図書館。
 バブル期に計画された施設とあって、利用者もほとんどない閑古鳥の鳴く状況で、来館者を増やすため、本の魅力を伝えようと悪戦苦闘する司書たちが、遭遇する5編のミステリー。
 
第一話 霜降──花薄
第二話 冬至──銀杏黄葉
第三話 立春──雛支度
第四話 二月尽──名残の雪
第五話 清明──れんげ野原

 探偵役が秀でた推理の能力を備えた中年男性司書、ワトスン役は彼に魅かれる大学卒業後間もない若き女性司書、と、なんとなく美味しんぼスタイルの組み合わせながら、男性は既婚者であり、といって、ドロドロとした愛憎劇などに向かうことがないのは、これも予想通り。
 とはいえ、ストーリーの経糸となるヒロインの気持ちの成り行きは、それほど安直に扱われているわけではない。ひとつ間違えば「ほっこり」を台無しにする危険な感情なのだが、物語の中におけるリアリティや、人物のキャラクターがなんとも絶妙であるために、彼女が見つけ出す結論にも、読む者を納得させるものが備わっている。
 
 実は、これが本書のカラーだ。
 日常の謎系と言いつつも、結構に辛いストーリーもあり、中には殺人事件(といっても遠い過去の事件だが)さえも登場するものの、どこかしら柔らかなものに包まれている感触がある。ただ、それは安直な人情とかではなく、あたりまえの人たちがそれぞれの生を歩む上で身につけている、あたりまえな倫理や生真面目さのように思われる。
 日ごろ、死んだの殺したの、といった作品ばかりを選んではいるものの、私はこういうほのぼのとしたお話が嫌いではない。人情で強引にハッピーエンドに持ち込む種類の物語が肌に合わないというだけで、本書はそういった安易な優しさには距離をおいている。
 
 紫式部を主人公とした王朝ミステリで、鮎川哲也賞を受賞している作者らしい、5編のタイトルもそれぞれに趣深い。★2つ半。

2016年01月16日

獣の記憶

 西洋史の著名な謎のひとつ「ジェヴォーダンの野獣」事件を背景にして描かれたゴシックミステリ。

 「ゴシックミステリ」とあるものの、幻想味、あるいは謎解きオンリーというわけではなく、ストーリーの軸は博物学者を目指す学生・トマと、貴族のお姫様・イザベラの階級を越えたラブロマンスとなっている。

 もちろん、作中でこの著名な謎の解明をいい加減に片づけているということではなく、野獣を追う捜査には、18世紀の科学的知見による検討が加えられる件も多々、さらにサイコパスの登場や拘束された狂人への尋問など、現代的なサスペンスの定石をも押さえていると言えそうだ。また、登場する歴史上の有名人はいずれも魅力的で、主人公の師である精力的な博物学者・ビュフォンや、アンシャン・レジームの頂点に君臨するルイ15世、さらに、デュ・バリー夫人などは大活躍で、個人的にはヒロイン以上に精彩を放っているように感じられた。
 よって560ページを越えるボリュームながら、読み進めるに苦は無い。……のだが、正直、やはり主人公たちの恋の描写は、枯れかけの中年男である私には、少々甘くて胃もたれがした(苦笑)

 巻末の解説によれば、著者ニーナ・ブラジョーンはヤングアダルト向けのファンタジーなどで活躍してきた作家、ということだから、想定読者層は私よりもかなり若い層なのかも知れない。
 ということで、恋の話に乗れない中年男視点では★2つ。

2016年01月11日

MAMA

 ギレルモ・デル・トロ制作による米・西合作のホラー。
 
 心中を意図する父親によって連れ去られるも、その手にかかることなく、山林の中で生き延びた幼い少女二人。5年の後に奇跡的に保護された彼女たちを引き取ったのは、若き叔父夫婦だったが……という導入部。
 有名なオオカミ少女伝説(こちらも女の子二人)を想起させられる設定なのだが、問題は少女たちを育てていたのがオオカミよりもよほどやっかいな……というところ。
 
 こういう設定は、巨大な自然の残るアメリカでなければ成立しなかったことだろう。日本でやったのでは、リアリティが失われそうだ。
 もっとも、それでありながら「MAMA」のヴィジュアルは、東洋人風であり、その不気味さのテイストにもJホラーの影響が見て取れるように思われた。
 いまさらにJホラーと言うのも、であるし、加えてCGがグリングリンと威力を見せ付けてくれるのも、やや、これじゃない、感あり。なんというか、うそ臭いのが明らかでも、白い服を着た長い髪の女を実写で使い、CGはそれに効果を加えるサポートに徹した方が、と思ってしまうのは、あるいは着ぐるみ特撮文化で育った日本人である、私の感覚のズレなのだろうか。
 
 というわけで「MAMA」の“造形”についてはやや不満が残るものの、しかし、それでありながら作品としては個人的には高い満足感があった。これはなによりドラマ部分がしっかりとしていたからだろう。
 少女たちを引き取り、気乗りもしないままに母親役をつとめるうちに、母性に目覚めるヒロイン・アナベルの演技も、その過程での個々のエピソードも実に巧く、ある種定番化したキャラクターをなぞっていくことがむしろ求められることの多い、ホラー映画というジャンルで、もう一段深く人間像を掘り下げ、それに成功しているのである。
 アナベル役のジェシカ・チャステインは、蓮っ葉なパンクロッカーという、母親適性の不足するキャラからの変身の演技が見事、また、冒頭の数カットで、娘との心中を試みる父親を演じたニコライ・コスター=ワルドーの姿は、強いインパクトがあった。
 
 やはり、MAMAのヴィジュアルが最大の難点か。
 しかし、私はこの映画は好きだな。★3つ。
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2016年01月10日

フロイトシュテインの双子

 うぐいす祥子によるホラー漫画短編集。

全8編
「フロイトシュテインの双子 第1話」
「フロイトシュテインの双子 第2話」
「フロイトシュテインの双子 第3話」
「森の中の家」
「とむらいバレンタイン」
「星空パルス」
「恋の神様」
「フロイトシュテインの双子 その後」

 代表作「死人の声をきくがよい」(ひよどり祥子名義)の推薦者名には、同業のホラー漫画家がズラリと並んでいるという、ホラー愛好家からの評判高き作者だ。
 
 で、読んでみると納得なのだが、作中のミスディレクションには、ホラーマニアならではの巧妙さがある。読み手が記憶に持つ「前例」に倣った物語の展開予想を、まるであらぬ方向に流し、がくりと来た体勢を立て直すまでの間隙を突いて笑いが繰り出され、ついうっかりとそれに乗ったところで、再び恐怖にひきこまれる。
 この恐怖と笑いの自在であるところが、なにより作者の個性だ。
 そして、様式化したホラーの約束事を利用して、そこに独創を一段加えて再構築する手法は、個人的にはウェス・クレイヴンのそれを想起させられるところでもある。
 
 ただ、読み手が特にホラー好きでない場合、このミスディレクションは十分に機能しないこともありそうで、そのあたりが巻末で語られる掲載誌との相性の話になるのか、という気はたしかにする(笑)
 
 全8編ともにホラーマニアの心に響く「逸品」だが、ことにモダンホラーとラノベがマリアージュしたかのごとき「星空パルス」は必読。★2つ半。
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2016年01月04日

喰らう家

 美女のサービスカットも、瞠目すべきCGの冴えも無いながら、アメリカではそこそこのヒットとなったホラー映画。邦題はれいによって原題無視だが、内容とは乖離していないので、これは良心的。
 
 一人息子を亡くした両親が、思い出の残る家を離れて転居してきた田舎町。19世紀半ばの建物ながら、格安の新居はなかなかに広く、しっかりとした屋敷だが……という、ホーンティングハウスもの。
 登場する「住人たち」の背景に、アメリカンホラーらしい周期性なども加えているところはこのシチュエーションとしては、やや目新しいとも言えそうなのだが、意外性を狙ったひねりはほぼ無く、ストーリーにも無理のない手堅さを感じられた。
 また、舞台は雪深いニュー・イングランドの田舎町であり、50代の夫婦と、同世代のその友人夫婦が遭遇する怪異体験という、主要登場人物も思い切り地味ながら、量的には控えめとは言え、スプラッタでゴアな描写でたたみかけてくる展開もあって、まず「普通のホラー」として素直に鑑賞することができる。
 
 それにしても、この作品のなによりの特徴は、やはり主人公たちの年齢の高さだ。
 そこを気にしないですむのは、観る側の私の方も近い年齢である……ということもさりながら、ヒロインを演じたのがかのバーバラ・クランプトンであったことが大きい。

 80年代ホラーの隆盛期の中で、スチュアート・ゴードン監督の数作品でヒロインを演じ、世界中のホラーファン青少年の脳裏に、消えることの無いピンク色の記憶を残してくれた彼女の主演作とあっては、少なくとも私と同世代のファンならばまずは、観なくては、と手に取るはずだ。
 そして、久しぶりに(個人的には「キャッスル・フリーク」以来)ディスプレイに映るクランプトンは、案外に品良く、息子を失った初老の夫人の悲愁を美しく演じている。
 やあ、お久しぶり、との軽い懐旧を覚えることができるのは、年寄りの特権だろう。
 
 尚、本作の監督であるテッド・ゲイガン自身が我々と同世代なのか、と思いきや、さにあらず、実はいまだ30代であったのはこれもまた意外。次の仕事も決まっているようなので、もし、懐かしいホラー作品へのリスペクトがらみの演出などが観られるのだとしたら、注視しておきたいところである。
 
 正直、私のように主演女優に関心がなければ、やや大人しい作品と感じてしまうのも否めないかも。故に個人的には★3つ半。私情を抑えれば★2つ。
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2016年01月03日

幽 Vol.24 特集リアルか、フェイクか

 発行元企業の変化に伴って、いろいろと内容の方も変化しているような、本誌は24号。発売時に生まれた子どもは、今年は中学生になるわけだ。うむ、私も歳をとるはずだ。
 
 さて、その変化のひとつは巻頭の東直子の文章と中上あゆみのイラスト、派手に目をひく画ではないのでうっかりとスルーしてしまいそうになるが、その細緻な描写と文章のコラボレーションは、紙面のむこうにはるかな広がりを幻視させてくれるもの。
 
 特集は「リアルかフェイクか」と称して、虚実のあわいに成立する「怪談」の幻妙なる世界について。
 まず、浅田次郎のインタビューは、別ジャンルで大きな成功を修めている作家の怪談論として興味深く読むことができた。とりあえず、書店にて「神坐す山の物語」を手に取ってみようか、と考える。ただし、ネット検索すると帯には「切なさにほろりと涙が出る」とか書いてあるらしく……うーむ、いや、うーむ。
 また、小説「残穢」に“登場”している福澤徹三が、作中エピソードにからめて語る特別寄稿文「残穢の震源から」は、貴重な秘話である。
 
 
 さて、連載小説では近藤史恵による学校怪談「震える教室」がスタート。
 私も好きな作家さんだが、まだ怪談を読んだことはない。今号のそれは、非常にオーソドックスな題材を、ほぼストレートに扱った正当派の一編。次回への期待がふくらむ。
 
 綾辻行人は「ねこしずめ」
 相変わらず、灰色の霧中を行くかのごとき、悪夢とも断じがたく、しかし、暗い予感にとらわれる世界。少し前に読んだ、小川未明の怪談集に、なにか相通うものがあるように感じた。もし、イラストをあてるならばつげ義春の一択。
 
 京極夏彦「虚談 ちくら」
 怖いのも面白いのも当たり前、その上で独特の仕掛けが必ず入る。本誌の大看板たりえるのは、ただネームバリューによるものではないな、と納得の逸品。
 
 小野不由美「営繕かるかや怪異譚 まつとし聞かば」
 こちらも大看板。ただ、京極作品ほど技巧の挑戦を試みている感はなく、ではマンネリなのかと言えば、無論そうではない。読み手の期待通りに肌に粟を立てるものをもたらしながら、しかも、型どおりのところにおさめず、闇の中に消える展開がさらに怖い。
 
 山白朝子「鼻削ぎ寺」
 タイトルに偽りなし、血まみれドロドロな、時代小説版ソリッド・シチュエーション・ホラー(?) この作者は、時々こういう身も蓋もないナスティな話を書くので、感動するつもりで読む人は油断できない。
 
 恒川光太郎「廃墟団地の風人」
 少年と風人との淡く、静かな交歓。そして迎える別れのとき。
 子どもを主人公とする話も、泣ける話というのも、私は本来あまり好きではない。がしかし、恒川光太郎作品には、どうにもその例外ばかりを見出してしまう。
 
 
 怪談実話では今回は安曇潤平の「ぼくちゃん」が白眉。
 私が過去に読んだこの作家さんの作品中では、私的評価としてはこれ以上のものはなかった。くだくだしい感想は書かない。読むべし。
 
 
 ところで、本誌主催の『幽』文学賞、『幽』怪談実話コンテストは、いずれも今号にて終了となるらしい。で、まさか最後だからというわけでもないのだろうが、講評は非常に厳しく、ある意味本号で一番恐いのは、この選考会リポートではないか(笑)
 
 12年間も読み続けて、尚、新鮮に怖がることのできる小説に出会えるのだ。怪談も、進化しつづけているということなのだろう。新年を迎えてほのぼのと喜ばしく、また、楽しみなことである。★3つ。
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2015年12月12日

人形遣い

 北欧系ミステリーに続き、近年出版の増えたドイツミステリー中の一冊。
 
 作者のライナー・レフラーは、本作によってデビューした50代の新人作家。
 遅咲きだけあって、と言えるのか、よくもわるくも安定感の高い危なげの無さを持った作品だ。猟奇的な殺人を繰り返すシリアルキラー「人形遣い」、対峙するはドイツ警察随一のプロファイラーながら、協調性を持たないが故に敵を作りやすい中年男の事件分析官・アーベルと、彼の指導を受けるエリート女性捜査官・クリスト。さらに、プロファイリングといった手法に反感を持つ巨漢のベテラン捜査官や、アーベルが協力をあおぐ、奇人の法医昆虫学者、といった登場人物のプロフィールを列記するだけでも、おお、王道、というところである。
 加えてストーリーの展開も、二人の捜査官の気持ちの動きや、ピンチに陥ってあわや、というくだりなど、こういう作品はこうでなくっちゃな、という読み手の期待を無駄に裏切ったりしない律儀さがあり、同じオッサンとして妙に納得するところである(笑)
 
 そういったある種生真面目なストーリーは安心して読むことができるのだが、ただし、もう少し意外性があっても、という読後感はあった。
 妙なヒネリや、定形外のキャラクターや、なぜこだわったのかわからないような記述があれば、読むときには退屈してしまうのだが、読み終えてみるとそれがその作家の「味」として記憶に残る。食べ物で言えば苦味のような、そこだけを食べようとは思わないが、無くなってしまうと妙に物足らない、そういう個性のことである。
 
 面白い作品である。
 ただ、そういう個性がぼやけている印象が残り、そこは次作に期待する、ということになるようだ。★1つ半。

2015年12月05日

呪い襲い殺す

 インパクトあふれるタイトルだ。
 ひょっとすると、記憶に残ることではホラー映画史上でもベスト30くらいには入りそうなインパクト。……しかしなあ、そういうことで手に取るホラーの愛好家って、どのくらいいるんだろうか。まあ、それよりも一般の観客にアピールするほうがビジネスとしては成功するということなのだろうが、うーむ。
 
 さて、そういう飛び道具みたいなタイトルの、原題は「OUIJA」
 本邦ではコックリさんなどとも呼ぶお手軽な交霊術のこと。ティーンエイジャーたちが、これによって呼び出した霊によって次々と……、という「心霊ホラー」としてはタイトルに似ないオーソドックスさに加え、展開の方も実にオーソドックス。
 レーティングを考慮したのか、お色気系の女性は登場しないものの、ジャンルの定番の高校生たちが、これまたスケジュールに従うかのように死を遂げていくところは、アメリカンホラーの伝統芸。
 展開はおおよそ予想がつき、それを大きく裏切るようなものはないものの、本作は観ていて退屈を覚えることがない。きちんとした環境で撮影がなされた画は、ジャンルのものとしては安っぽくなっておらず、また、オーソドックスな筋立てとすることで、くだくだしい説明を省き、良好なテンポを獲得できているのもポイント。
 
 そして、もうひとつ加えれば、主演のオリヴィア・クックの魅力がある。
 欧米人にしてはやや幼い顔立ち、整っているということだけならば女優としては平凡だが、表情の豊かであることは抜群である。記憶しておいてもいい女優かな、と検索してみたところ、すでに評価も高まりつつあるらしい。
 
 ジャンルの教科書に載せても良いような正統派ホラー。
 カーペンターや、トービー・フーパーのように、得体も知れないままに観るものを巻き込むような情熱の奔流はないが、基本の出来た優等生のまとまりのよい作品も、私はけっして嫌いではない。★3つ。
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2015年11月22日

白の迷路

 このBlogで、すでに紹介した「極夜」「凍氷」に続く、フィンランド産の警察小説、シリーズ第3作。

 前々作では田舎町の警察署長、前作では首都ヘルシンキの刑事だった主人公、カリ・ヴァーラは、今度はなんと国家警察長官直属の非合法特殊部隊を率いる、指揮官へと出世している。
 いや、しかし、フィンランドの警察と言うのは一体どういう組織なのか。
 北海道と同程度の人口しかない国であれば、もろもろが小所帯であるにしても、そういう人事異動はありなのか、主人公の適応能力は高すぎではないか。
 事実、第一作では「はぐれ刑事純情派」みたいだった主人公が、今作では「西部警察」に出演しそうな勢いである。なんなのだろうか。
 この変身に驚いているのは、私だけではない。解説の北上次郎まで、“全く信じられない”などとオープンに語ってしまっているのだ。

 しかるに、本作は笑いながら読むべき色物小説か、などと思うと大間違い。
 主人公たちは、「超法規的手段」により麻薬を摘発し、犯罪組織の殲滅を狙うのだが、その一方で、フィンランド国内での差別主義の台頭、政治の腐敗、深刻な経済的格差などに接する。往々にして、理想的国家として語られることの多いこの北欧の小国も、しかし、それ以外の多くの国々に共通する病に侵されているという苦い事実に直面し続ける。
 理想に基づいた当初の目的を見失いつつある主人公たちの姿は、第一作のややのどかな(そこでも移民問題は語られていたのだが)展開から遠く離れ、ノワールな色を濃くしている。そして、驚くべきはそういったスタイルで描かれた作品として、本作は成功しているのだ。
 
 なんなのだろう、とは再度いぶかしみを覚えることだ。
 作者は、どのような意図で、一人の主人公をここまで変身させたのか。しかし、個々の作品の完成度を考えれば、これが無計画なものであったとは思えない。
 しかし、その謎が解けるかどうかはわからない。作者のジェイムズ・トンプソンは、本作を発表後の2014年8月にまだ49歳にして急逝してしまっているからだ。(もっとも、米国では第4作が発表されているということなので、そこではこの先の主人公に再会することはできるのだが)
 
 わずか3作のみのシリーズながら、この大きな変化は、あまり他に例をみない。しかして、スタイルの異なる3作が、それぞれにジャンルのものとしての完成度を備えている、というのもまた、類例のないところだろう。まずは驚く。★2つ半。

2015年11月15日

カルニヴィア 1 禁忌

 一言で言ってしまえば、国際謀略スリラーということになるか。
 主人公はイタリア軍の憲兵大尉とアメリカ軍の広報担当士官、どちらも若い女性だが、肉感的で奔放な前者と、まじめで学究肌の後者、と、コンビの定番らしく性格は書き分けられ、これにイタリア人の天才プログラマーと、引退したCIAの元大物工作員の老人がからんで、ユーゴ内戦期の「秘密」を追う、というストーリー。
 
 説明が大雑把なので、少々安っぽく感じられるかも知れないし、たしかにストーリー自体は、難解で哲学的示唆に富むようなものではないが、とはいえ、よくもここまでと言いたくなるほどに、登場人物それぞれの知識背景ががっちりと構築されているので、読み応えは生半なものではない。特別に魅力的な行動を取るわけではないキャラクターが、しかし、感じさせてくれる存在感の厚みは、本作の傑出した個性だろう。
 
 もちろん、キャラクターのみではなく、作品世界を支える情報についても、その「描き込み」とでも表現したくなる微にいり細にいった凝り方は、ああ、こういう作品を書く人は10年に1作くらいしか書けないんじゃなかろうか、などといらぬ心配をしたくなるほどだ。(さらに言えば、こういった職業作家による娯楽小説は、やはり巨大な読書人口を擁する英語圏でなくては難しいだろうな、とも思う)
 尚、ヴァチカンが関係してくるところからか、ダヴィンチ・コードを連想する指摘もネット上では散見するが、個人的には宗教系の秘史的記述は、本書の方が個性と味わいが上であるように感じられた。
 
 さて、続刊が待ち遠しい……というべきなのだろうが、少々ボリュームがありすぎて読み疲れがした(笑) 次は半年先くらいでよい。★2つ半。
posted by Sou at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書:SF・冒険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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